捕食者がいないのに安全第一? ニホンカモシカの個体数を左右する環境要因
捕食者がいないのに安全第一?
ニホンカモシカの個体数を左右する環境要因
ポイント
- 富士山とその周辺の山地を300㎞歩き、ニホンカモシカ(カモシカ)の個体数と食物条件や競争相手であるシカの個体数、人間活動の程度、地形の関係を調査しました。
- カモシカの個体数は食物条件だけでなく、地形から強い影響を受けており、捕食者からの逃避場所となる急峻な地形が多い場所ほどカモシカが多い傾向にありました。
- これは捕食者が現存しないにも関わらず、進化の過程で獲得したと考えられる「より安全な環境を好んで生息する」という捕食者対策が、個体数に影響することを示した珍しい例です。
本研究成果は、ドイツの動物学雑誌「European Journal of Wildlife Research」(5月29日付)オンライン版に掲載されました。
論文名:Ecological drivers of population abundance of the Japanese serow in the absence of predation risk
著者名:Hayato Takada*, Akane Washida, Shuhei Yamasaki
URL:https://doi.org/10.1007/s10344-025-01938-z
研究体制
本研究は、国立大学法人東京農工大学 農学部附属野生動物管理教育研究センターの髙田隼人特任准教授および山梨県富士山科学研究所の鷲田茜氏、山梨県総合農業技術センターの山崎修平研究員らの共同研究チームによって実施されました。なお、本研究は、JSPS科研費JP 22K14909、JP 23KK0277の助成を受けて行われたものです。
研究背景
野生動物の個体数がどのような環境条件に左右されるかを理解することは、その動物を保全するためにも、適切に管理してくためにも不可欠です。有蹄類(注1)は世界中の様々な環境で重要な役割を担う草食動物であり、その個体数は食物条件や捕食圧、競争相手の存在、人間活動により影響を受けることが知られています。一方で、急傾斜地・崖といった「捕食者からの避難場所」の豊富さが個体数に与える影響は、これまでほとんどわかっていませんでした。
山岳に生息する有蹄類にとって、このような逃避場所は生存のために非常に重要なため、逃避場所のある環境を好むことがよく知られており、いくつかの種では、捕食者がいない場合であっても逃避場所を好むことが知られています。このような現象は「過去の捕食者の亡霊」と呼ばれており、過去数万年にわたる進化の過程で獲得してきた捕食者対策の行動が、捕食者が不在になっても残り続けていると考えられています。このような過去の捕食者の亡霊の性質を持つ有蹄類では、逃避場所の存在が個体数にも強い影響を与えているかもしれません。
ニホンカモシカ(カモシカ)は日本の山岳生態系を代表する有蹄類で、急峻な地形や崖を逃避場所として使うことが知られています(図1)。カモシカは国の特別天然記念物として保護されており、人間による捕獲は基本的に禁止されています。さらに、オオカミの絶滅以降、野生の捕食者は存在していません。そのため、本研究チームは、カモシカの個体数が食物やそのほかの環境条件だけでなく、進化の過程で獲得した捕食者対策に適した「逃避場所の豊富さ」にも左右されているかもしれないと考えました。そこで、カモシカの個体数と食物条件や競争相手であるシカの個体数、人間活動の程度、逃避場所の関係を調査しました。
研究成果
調査は山梨県と静岡県に位置する富士山とその周辺の山地(御坂山地、三つ峠、天子山地、杓子山、三国山)の約1800㎢の範囲で実施しました(図2)。調査範囲には低山帯(標高140m)から亜高山帯(標高2420m)までの様々な森林が含まれています。2019年から2022年の冬に、54地点を実際に歩いて調査し(一地点あたり平均5.6㎞、合計306.5㎞)、各地点のカモシカとシカの新鮮な糞塊数、森林タイプ、植物(広葉樹・ササ)の現存量、最寄りの人間居住地までの距離、標高、地形(斜度)を記録しました。また、発見したカモシカの糞は実験室へ持ち帰り、糞の中に含まれる粗たんぱく質含有率を算出しました。カモシカとシカの糞塊数は個体数の相対的な指標として、糞の粗たんぱく質含有率はカモシカが食べた植物の栄養価の指標として使用しました。
調査の結果、36地点でカモシカの新鮮な糞塊が発見され(66.6%)、合計で189個の糞塊をカウントしました。カモシカの個体数は広葉樹林に比べて針葉樹林、食べられる高さにある広葉樹が少なくササの多い場所、糞中粗たんぱく質含有率の高い場所で多い傾向にありました。このことは、針葉樹とササの量が多く、食物の栄養価の高い場所ほどカモシカにとって好適な生息地であることを示唆しています。一方で、シカの糞塊数や人家までの距離はカモシカの個体数に影響を与えなかったことから、これらの要因はカモシカの個体数を直接的には左右しないことが示唆されました。
地形はカモシカの個体数に強い影響力を持ち、急峻な場所ほどカモシカの個体数が多い傾向にありました。捕食者が不在であるにもかかわらず、逃避場所の多い環境がカモシカの好適な生息地となったことから、過去の捕食者の亡霊がカモシカの個体数にも影響することが示されました。
カモシカは他個体に対するなわばり(注2)を持ち、一度なわばりをもつと、長期間同じ場所に住み続けることが知られています(2023年3月7日 本学プレスリリース)。また、なわばりが大きい地域ほど個体数が少ないことが知られています。急傾斜地の少ない場所では、なわばり内に十分な逃避場所を確保することが難しく、その分広いなわばりをもつ必要があったのかもしれません。
今後の展開
本研究はカモシカが捕食者不在であるにもかかわらず、その個体数が逃避場所の豊富さに強い影響を受けていることを世界で初めて示しました。世界の有蹄類の中には、捕食者の在不在に応じて柔軟に行動を変化させる種も多く報告されています。しかし、なぜカモシカは捕食者が不在でも頑なに安全を重視した戦略を持つのでしょうか?この謎が今後の大きな研究課題です。
一方で、富士山と周辺山地ではカモシカの個体数が減少していることが知られており、特に富士山では絶滅が危惧されています(2023年4月11日および2023年6月30日 本学プレスリリース)。本研究では、より急峻な地形と豊富な食物の存在がカモシカの生息適地として重要であることを示すことができました。カモシカの保全対策のために、急傾斜の多い場所においてカモシカの食べ物になる植物資源の維持と増殖が重要であると考えられます。
用語解説
注1)蹄を持つ動物群のこと。偶蹄目(牛や羊)と奇蹄目(馬やサイ)が含まれる。
注2)他の個体に対して防衛する場所・空間 のこと。


(Eur J Wildl Res (2025) DOI 10.1007/s10344-025-01938-zを基に作成)
◆研究に関する問い合わせ◆
東京農工大学 農学部附属野生動物管理教育研究センター
特任准教授
髙田 隼人(たかだ はやと)
TEL:042-367-5826
E-mail:takadah(ここに@を入れてください)go.tuat.ac.jp
関連リンク(別ウィンドウで開きます)
- 東京農工大学 髙田隼人特任准教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 髙田隼人特任准教授 研究室WEBサイト
- 髙田隼人特任准教授が所属する 東京農工大学農学部地域生態システム学科