植物油がハダニの卵を殺すメカニズムを解明

植物油がハダニの卵を殺すメカニズムを解明

研究概要
 国立大学法人東京農工大学大学院農学研究院生物システム科学部門の鈴木丈詞准教授、大学院生物システム応用科学府生物機能システム科学専攻の武田直樹氏(博士前期課程1年)、同専攻修了生の高田愛弓氏(2020年3月博士前期課程修了)およびドレスデン工科大学(ドイツ)のDagmar Voigt博士を中心とする国際研究グループは、食用の植物油を有効成分とする殺虫剤が、農作物の難防除害虫であるナミハダニの卵を殺すメカニズムを解明しました。この殺虫剤を処理したナミハダニの卵(直径:約0.1 mm)では、1)卵殻に付着した油が孵化直前の卵内に浸入する、2)卵内に浸入した油によって孵化直前の幼虫が示す回転運動が阻害される、3)幼虫は孵化できずに卵内で死に至ることが判明しました。また、この殺虫剤には、ナミハダニの天敵製剤として利用されているミヤコカブリダニに対する殺卵活性はありませんが、この理由として、両者の孵化行動の違いに起因する可能性も本研究により見いだされました。本研究で構築したナミハダニの孵化行動の評価系は、卵内における幼虫の回転運動を阻害する活性を示し、天敵製剤との併用が可能で、かつ安全性の高い天然物のスクリーニングに活用できる可能性があります。

 

本研究成果は、2020年9月22日にEngineering in Life Science誌への掲載が決定し、10月7日にオンライン公開されました。
論文名:A vegetable oil–based biopesticide with ovicidal activity against the two-spotted spider mite, Tetranychus urticae Koch
DOI: 10.1002/elsc.202000042
URL: https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/elsc.202000042 


研究背景
 ハダニ科(Tetranychidae)に属するナミハダニ(Tetranychus urticae Koch)は、150種以上の農作物を加害する世界的に重要な害虫として知られています。また、これまでに本種において抵抗性が報告された化学合成殺虫剤の有効成分数は、節足動物の中で最多であるため、従来の殺虫剤に依存しない持続可能な管理体系の構築が強く求められています。近年、この管理体系を構築する資材として、物理的な殺虫活性を示す天然物を有効成分とし、抵抗性を発達させにくい殺虫剤(以下、物理的殺虫剤)が注目されています。
 我が国における物理的殺虫剤の歴史では、1670年における鯨油の利用が最古の記録として残されています。これは江戸時代に始まった手法で、当時は水田に鯨油を注ぎ、油膜を形成した水面に、イネ科作物の重要害虫であるウンカ類を払い落として防除していました。明治時代に入ると、鯨油に替わり、鉱油から精製される機械油(マシン油)が、ウンカ類だけでなく、果樹の重要害虫であるカイガラムシ類やハダニ類の防除にも利用されるようになりました。近年では、食品や食品添加物としての使用実績がある油脂類や多糖類等を有効成分とし、使用者・消費者双方の健康を害せず、かつ周辺の環境への負荷が低い物理的殺虫剤の開発が続いています。
 2010年に農薬として登録された調合油乳剤(登録番号:第22801号)は、食用の植物油(サフラワー油および綿実油)を有効成分とする物理的殺虫剤です。本剤は、ハダニ類に対する殺虫(殺幼若虫および殺成虫)活性だけでなく、従来の物理的殺虫剤ではあまり認められなかった殺卵活性も示し、さらに、2017年には有機農産物の日本農林規格(有機JAS)別表2に記載されたこともあり、その利用が広まりつつあります。
 物理的殺虫剤の作用機構では、虫体に付着した有効成分が気門を封鎖し、呼吸を阻害する可能性(呼吸阻害説)が支持されてきました。そのため、物理的殺虫剤は、慣例的に「気門封鎖剤」と呼称されています。ナミハダニの卵には外部から空気を取り込む器官があり、無酸素条件では胚発生は停止し、死に至ることから、本研究が対象とした調合油乳剤の殺卵機構にも、当初は呼吸阻害説が適合すると考えられていました。

研究成果
 本研究では、まず、走査型電子顕微鏡(SEM)やクライオSEM(注1)を用いた観察により、本剤の有効成分である植物油は、ナミハダニの卵やその周辺の網(注2)に多量に付着することが判明しました(図1)。次に、本剤処理後の卵を観察した結果、胚発生は孵化直前の幼虫期まで進行する一方、最終的に孵化に至らないことが判明しました。これは、当初考えられていた呼吸阻害説に反する結果であり、本剤の殺卵機構として、何らかの作用で孵化を阻害する可能性(孵化阻害説)が浮上しました。そこで、鈴木准教授が開発した発育同調方法(特願2017-057691)を用いて孵化直前の段階に維持した卵に、疎水性色素で有効成分を着色した本剤を処理し、その動態を調査しました。その結果、孵化直前の卵内に本剤の有効成分が浸入することが判明しました。通常、孵化直前の幼虫は、卵内で体の左右軸を中心に前方へ回転しながら卵殻を切断して孵化します(図2、図3A)。一方、本剤の有効成分が浸入した卵内では、幼虫の回転運動が阻害され、孵化に至らないことが判明しました(図3B、図4)。ただし、ナミハダニの孵化への影響が少ない流動パラフィンを用いて本剤処理後の卵を洗浄すると、回転運動が再開し、孵化に至ることから、本剤の孵化阻害効果は可逆的であることも判明しました(図3C)。これら結果より、ナミハダニに対する本剤の殺卵機構は、孵化直前の幼虫における回転運動の阻害(孵化阻害)であるとの結論に至りました。
 なお、規定の倍数(×300)で希釈した本剤をナミハダニ卵に処理した場合、その孵化率は5%以下であった一方、天敵であるミヤコカブリダニでは、無希釈(原液)の本剤を卵に処理しても、その孵化率は95%以上を示し、ミヤコカブリダニ卵は本剤に対して耐性を示すことが判明しました。前述の通り、ナミハダニの幼虫は、卵内で回転しながら卵殻を切断して孵化に至ります。一方、ミヤコカブリダニの幼虫の場合、まず胴背毛(注3)が卵殻を貫通後、後胴体部(注4)が卵外へ突出しながら孵化に至ります(図5)。この孵化行動の違いが、本剤の殺卵活性における種間差に起因する可能性があります。
 以上より、本研究は、気門封鎖剤と呼称されるほど呼吸阻害説が浸透していた物理的殺虫剤の作用機構に一石を投じ、孵化阻害という新しいカテゴリーを創出しました。また、本研究で構築した孵化行動の評価系は、害虫に対する孵化阻害活性を有し、天敵製剤との併用が可能で、かつ安全性の高い天然物のスクリーニングに活用できる可能性があり、持続可能な害虫管理体系の構築に資する物理的殺虫剤のさらなる開発が期待できます。

研究体制
 本研究は、国立大学法人東京農工大学大学院農学研究院生物機能システム科学部門の鈴木丈詞准教授、同大学大学院生物システム応用科学府生物機能システム科学専攻の武田直樹氏(博士前期課程1年)、高田愛弓氏(2020年3月博士前期課程修了)、新井優香氏(博士前期課程1年)、笹屋一大氏(2019年3月博士前期課程修了)、Noureldin Abuelfadl Ghazy博士(日本学術振興会外国人招へい研究者)、OATアグリオ株式会社の野山晋平氏(同専攻の社会人ドクターを兼務)および和氣坂成一氏と、ドレスデン工科大学のDagmar Voigt博士から構成される国際研究グループによって実施されました。なお、本研究は東京農工大学とOATアグリオ株式会社との共同研究として実施されました。また、本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究B(18H02203)および外国人研究者招へい事業(L19542)と、科学技術振興機構OPERA(JPMJOP1833)の助成を受けて実施されました。

用語解説
注1)クライオSEM(cryo scanning electron microscopy)
試料を凍結して観察するための走査型電子顕微鏡(SEM)。SEMは電子顕微鏡の一種であり、電子線照射によって放出される二次電子・反射電子・X線などを検出し、試料の表面構造を観察する装置。

注2)網(web)
第2付属肢である触肢(pedipalps)の先端にある出糸突起(spinneret)から出される糸(silk)を用いて立体的に形成される網。糸は、出糸突起を基材(例えば、葉)に付着させ、その後の移動によって、触肢内の出糸腺(spinning gland)で生産される繊維状のタンパク質を外部に引き出して生成される。

注3)胴背毛(dorsal setae)
背板上の毛。ミヤコカブリダニの場合、幼虫の背板後半の毛(Z5)が卵殻を貫通後、孵化に至る(図5)。

注4)後胴体部(opisthosoma)
体節(segmentation)のうち、付属肢(appendages)が生じない部分。ダニの体節は、前体部(proterosoma)と後体部(hysterosoma)に大別される。前体部は、顎体部(gnathosoma)と前胴体部(propodosoma)から構成される。顎体部からは第1付属肢である鋏角(chelicerae)と第2付属肢である触肢(pedipalps)が生じる。前胴体部からは第3付属肢である第I脚と第4付属肢である第II脚が生じる。後体部は、中胴体部(metapodosoma)と後胴体部から構成される。中胴体部からは第5付属肢である第III脚と第6付属肢である第IV脚が生じる。

図1. SEM(A~C)とクライオSEM(D~F)を用いて取得した(A)ナミハダニの雌成虫、(B,D)無処理の卵および(C,E,F)調合油乳剤が付着した卵とその周辺の網の画像(スケールバー:A 100 µm,B~F 50 µm)。
図2. ナミハダニの卵内における幼虫の回転運動と孵化。以下のリンク先で動画(Movie S1)をご覧いただけます。
https://figshare.com/articles/media/A_vegetable_oil_based_biopesticide_with_ovicidal_activity_against_the_two-spotted_spider_mite_Tetranychus_urticae_Koch/12895292
図3. ナミハダニの孵化の模式図。(A)無処理の卵、(B)植物油を有効成分とする調合油乳剤を処理した卵および(C)処理後に植物油を除去した卵。(A)幼虫期に至った胚子は、卵内で回転しながら付属肢で卵殻を切断し、孵化に至ります。Pd:触肢(pedipalps)、L1–3:第I–III脚、L4P:第IV脚の原基(primordia)。(B)植物油は卵殻切断時に卵内に浸入します。浸入した植物油によって潤滑が生じ、回転運動が阻害されると考えられます。(C)植物油を除去すると、回転運動が再開し、孵化に至ります。植物油は、卵周辺に形成され、卵を支持する網にも付着します(図1)。網を構成する糸が卵や周辺の物体から分離し、それが回転運動に影響する可能性もあり、今後の検証が必要です。

図4. ナミハダニの卵内への調合油乳剤の有効成分(赤に着色)の浸入と、それに伴う幼虫の回転運動の停止。以下のリンク先で動画(Movie S6)をご覧いただけます。
https://figshare.com/articles/media/A_vegetable_oil_based_biopesticide_with_ovicidal_activity_against_the_two-spotted_spider_mite_Tetranychus_urticae_Koch/12895292 

図5. ミヤコカブリダニの孵化。以下のリンク先で動画(Movie S2)をご覧いただけます。
https://figshare.com/articles/media/A_vegetable_oil_based_biopesticide_with_ovicidal_activity_against_the_two-spotted_spider_mite_Tetranychus_urticae_Koch/12895292

◆研究に関する問い合わせ◆
東京農工大学大学院農学研究院
生物システム科学部門 准教授
鈴木 丈詞(すずき たけし)
TEL:042-388-7278
E-mail:tszk(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp

 

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