〔2016年4月27日リリース〕クマがサクラを温暖化から救う

花咲かクマさん:
ツキノワグマは野生のサクラのタネを高い標高へ運んでいた


ポイント
・種子の高標高・低標高への移動を測定する方法を開発しました。
・クマは野生のサクラの種子を平均307m、最大738m、標高の高い場所へ運んでいました。
・結果としてクマは、野生のサクラを温暖化による生息地の縮小から守るのに役立っています。

概要
国立研究開発法人 森林総合研究所は、東京農工大学、総合地球環境学研究所、滋賀県琵琶湖環境科学研究センター、日本大学、酪農学園大学、東京農業大学、東京大学と共同で、酸素同位体比分析により標高方向の種子散布《注1》を測定する方法を開発しました。さらに本手法を野生のサクラに適用したところ、主な種子散布者であるツキノワグマが平均で307m、最大で738m高標高に種子を散布していることが分かりました。
自ら動けない植物は、生育に適した環境を求めて移動するために種子散布を行います。これまで、植物が種子をどれくらい遠くまで散布しているかに注目が集まり研究が行われてきました。しかし、水平方向の種子散布は精力的に研究されてきたものの、標高方向の種子散布、つまり種子がどれだけ高標高あるいは低標高に移動しているかを評価した研究はありませんでした。本研究では、標高が高くなるほどそこに生育する植物の種子の酸素安定同位体比《注2》が小さくなることに着目し、この関係を利用することで、散布された種子の親木が位置する場所の標高を特定することに成功しました。そして、「種子が散布された標高」と「親木の標高」から、種子の移動した標高差(標高方向の種子散布距離)を求めることを可能にしました。
本手法を野生のサクラ(カスミザクラ《注3》)に適用し、サクラの主要な種子散布者である哺乳類の糞から種子を抽出・分析したところ、ツキノワグマ《注4》によって平均で307m、テン《注5》によって平均で193m、標高の高い場所へ種子が散布されていることが明らかになりました。

※本研究は以下の助成を受けたものです。
予算 文部科学省科学研究費補助金
研究課題番号 25241026
研究課題名 「森林の生物多様性に寄与する大型哺乳類による樹木種子の長距離散布の解明」
問い合わせ先など
研究推進責任者 森林総合研究所
研究ディレクター 小泉 透
研究担当者
森林総合研究所
森林植生研究領域
群落動態研究室 任期付研究員 直江 将司
広報担当者 森林総合研究所
企画部 広報普及科長 宮本 基杖
Tel:029-829-8135 Fax:029-873-0844
本資料は、林政記者クラブ、農林記者会、農政クラブ、筑波研究学園都市記者会、文部科学記者会、科学記者会に配付しています。

背景
自ら動くことができない植物は、種子の散布によって移動します。これはまだ見ぬ新天地へ分布を拡大するため、また捕食者や競争相手がたくさんいる親植物の周辺、あるいは環境の変化などによって生育しづらくなった場所から逃れるためです。このような目的から、植物は風や水流、動物などを利用して種子散布を行います。水平方向の種子散布についてはたくさんの研究があり、一般に風よりは動物による種子散布距離が長いこと、クマやサルなど大型の哺乳類のほうが鳥類よりも散布距離が長いことなどが明らかになっています。一方で標高方向の種子散布については、これまで研究例がありません。標高方向の種子散布とは、種子が散布によって山をどのくらい登っているか、あるいは下りているかの移動のことです。
植物は標高方向の種子散布によって山を登り下りするため、標高方向の種子散布は植物が山のどの標高に多く分布するのかを決定します。また温暖化が進む今日では、種子散布によって気温が低く生育に適した環境となった高標高へ移動できるかどうかは、植物の減少や絶滅を左右します。
しかし、標高方向の種子散布を評価するには、既存の手法では1個1個の種子について、山の中に無数に生えている木から親木を見つける必要があるなど大きな労力が必要でした。そのため、これまで標高方向の種子散布は一度も評価されてきませんでした。

内容・意義
【標高方向の種子散布評価手法の開発】
東京都の奥多摩地方において、2012年と2013年に標高550~1290mの様々な場所でカスミザクラの結実木から直接種子を採取し、種子の酸素安定同位体比の値が標高によって小さくなることを発見しました(図1左上)。この関係を利用すると、種子がどこに落ちていても「親木の標高」を決めることができます。そして、「種子が散布された標高」と「親木の標高」の差し引きから、標高方向の種子散布距離を求めることができるようになりました。

【野生のサクラの種子散布評価への適用】
2010年から2013年にかけて、標高550~1650mに調査ルートを設け、哺乳類の糞を採取し、糞中のカスミザクラ種子を取り出しました。種子を散布していた主な哺乳類は、散布数の多い順からツキノワグマ、テン、アナグマ、ニホンザルで、それぞれ全体の80.3、19.6、0.07、0.03%を占めていました。
ツキノワグマとテンについて、糞から取り出したカスミザクラ種子の酸素安定同位体比から親木の標高を求め、糞の回収地点の標高との差から、標高方向の種子散布距離を求めました(図1右上、左下)。その結果、ツキノワグマは平均で307m、テンは平均で193m、標高の高い方に種子を散布していることが分かりました。
ツキノワグマ、テンによる種子散布が標高に高い方に偏っていた原因としては、エサとなる植物の開葉や結実の時期が影響していると考えられました(図1右下)。 春から夏にかけて、植物の開葉や結実は山麓から山頂方向にかけて進みます。また春から夏にかけて、ツキノワグマやテンは植物の若葉やサクラの果実を多く利用します。そのため、ツキノワグマとテンはこれらのエサ植物を追いかけて山麓から山頂方向に移動し、その途中で糞をすることで標高の高い方に偏って種子を散布していたものと考えられました。
高標高への種子散布は、種子がより気温の低い場所へ移動したことを意味します。そのため、ツキノワグマとテンは結果として野生のサクラを温暖化による生息地の縮小から守る上で極めて重要な役割を果たしていることが分かりました。

今後の予定・期待
【標高方向の種子散布の実態解明】
種子散布に利用する媒体(風、水流、鳥類、哺乳類など)は植物によって大きく異なり、標高方向の種子散布の実態は全く未知数です。本手法をさまざまな植物に適用することで、どのような性質が植物の移動に有利に働くのかが明らかになっていきます。その結果、植物群集の種構成や多様性が形成されるプロセスの理解が大きく進むものと期待されます。

【哺乳類や鳥類が森林の維持に果たす役割の解明】
本研究では、ツキノワグマが野生のサクラの種子を高標高域へ運び、結果として野生のサクラを温暖化から守っているという結果が得られました。動物に種子散布を頼っている周食散布植物《注1》は植物のなかでも最も種数が多いグループの一つであり、森林の主要な構成樹種でもあります。一方で、動物の行動によって種子散布が決定されるために予測が困難であり、今回の結果も予想外なものでした。今後も周食散布植物の種子散布を1種1種丁寧に評価していくことで、哺乳類や鳥類が森林の維持にどのような役割を果たしているのかが明らかになっていくことが期待できます。

用語の解説
《注1》種子散布と周食散布:自ら動くことのできない植物にとって、種子散布は唯一の移動手段です。植物は種子の散布に、風や水流、動物などを利用することが知られています。サクラでは、動物が種子の周りの果肉を食べるために種子ごと飲み込み、種子を糞として排出することで散布されます(これを周食散布と言います)。周食散布は、温帯林では35~71%、熱帯林では75~90%の樹木でみられ、アリからゾウに至るまで様々な動物が種子散布に参加します。特に、鳥類と哺乳類は重要な種子散布者と考えられています。

《注2》安定同位体比:原子核内の陽子の数が同じで中性子の数が異なる原子のことを同位体、そのうち環境中に安定して存在するもののことを安定同位体といいます。同じ元素の安定同位体であっても、それぞれ性質がほんの少し異なっています。その結果、環境によって物質に含まれる安定同位体の割合は異なります。今回の研究では、種子に含まれる酸素の安定同位体比が標高によって異なることを利用して、標高方向の種子散布を評価しています。

《注3》カスミザクラ(霞桜、Prunus verecunda):北海道から九州にかけて、また朝鮮半島や中国東部の山地に自生する野生のサクラです。栽培品種ソメイヨシノの原種であるエドヒガンやオオシマザクラ、ヤマザクラとはとても近縁です。

《注4》ツキノワグマ(月輪熊、Ursus thibetanus):ロシアからタイまで、アジアの森林に広く分布します。日本では本州以南に分布しますが、九州では絶滅したと考えられています。

《注5》テン(貂、Martes melampus):本州以南の森林に広く分布する、イタチの仲間です。

共同研究機関
東京農工大学、総合地球環境学研究所、滋賀県琵琶湖環境科学研究センター、日本大学、酪農学園大学、東京農業大学、東京大学

本成果の掲載論文

タイトル Mountain-climbing bears protect cherry species from global warming through their vertical seed dispersal (登山家クマが標高方向の種子散布によってサクラを温暖化から救う)
著者 NAOE Shoji(直江将司),TAYASU Ichiro(陀安一郎・総合地球環境学研究所),SAKAI Yoichiro(酒井陽一郎・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター),MASAKI Takashi(正木隆),KOBAYASHI Kazuki(小林和樹・日本大学),NAKAJIMA Akiko(中島晶子・日本大学),SATO Yoshikazu(佐藤喜和・酪農学園大学),YAMAZAKI Koji(山崎晃司・東京農業大学),KIYOKAWA Hiroki(清川紘樹・東京大学),KOIKE Shinsuke(小池伸介・東京農工大学)
掲載誌 Current Biology(現在の生物学)、(オンライン上で 2016 年 4月25日公開済)

図、表、写真等

写真1:(左、右上)満開のカスミザクラ(提供:勝木俊雄氏)。(右下)ツキノワグマの親子(提供:梅村佳寛氏)。

図1:(左上)結実木から採取した種子の酸素安定同位体比と標高の関係。標高が高いほど同位体比が減少しています。この関係を利用することで散布された種子の親木の標高が求まるため、標高方向の種子散布が評価できます。(右上)ツキノワグマによる標高方向への種子散布の頻度分布。標高の高い方に偏って種子が散布されています。(左下)テンによる種子散布の頻度分布。ツキノワグマより平均の散布距離が短いことがわかります。(右下)哺乳類による種子散布の模式図。山麓から山頂にかけて植物の開葉や結実が進み、それを哺乳類が追いかけた結果、種子が標高の高い方に偏って散布されたと考えられます。

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