パラフィン表面におけるアルカリ金属原子の滞在時間分布の詳細を解明―原子時計の精度向上への期待―

2021年12月9日

パラフィン表面におけるアルカリ金属原子の滞在時間分布の詳細を解明―原子時計の精度向上への期待―

 国立大学法人東京農工大学大学院工学研究院先端物理工学部門の浅川寛太助教と畠山温教授、同大学院工学研究院応用化学部門の臼井博明教授らの研究グループでは、原子時計などの精密測定の精度向上に重要なスピン緩和防止コーティングであるテトラコンタン薄膜表面において、測定に使われるルビジウム原子の散乱過程を詳細に調べ、表面に滞在する時間が極端に長い成分があることを明らかにしました。本研究結果は、原子時計や原子磁力計などの精密測定の精度向上に役立つことが期待されます。

本研究成果は、American Physical Societyが発行するPhysical Review A(12月6日付)に掲載されました。
論文タイトル:Measurement of the temperature dependence of dwell time and spin relaxation probability of Rb atoms on paraffin surfaces using a beam-scattering method
URL:https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.104.063106

現状
 アルカリ金属などの気体原子は、原子時計や原子磁力計などの精密測定に用いられています。その中でも原子時計は、GPSなどの技術に応用されており、我々の生活を支えています。気体原子を封入している容器の表面との衝突により気体原子のスピン(注1)の状態が変化することがあるということが知られていますが、その頻度が高いとこれらの精密測定の精度は低下してしまいます。したがって、これらの測定手法の精度向上のためには、容器表面と気体原子の衝突による気体原子のスピンの状態の変化を最小限にとどめる必要があります。衝突におけるスピン状態の変化を防ぐ手法として有力視されているのが、パラフィン(注2)などのスピン緩和防止コーティングです。スピン緩和防止コーティングの性能は、気体原子が容器の表面に衝突する際に、表面に滞在する時間がどれだけ短いかに依存します。一般的に、表面に滞在する時間は、前指数因子と呼ばれる量と、表面と気体原子の間の吸着エネルギーの大きさ、表面温度に依存します。先行研究で得られた72℃における平均表面滞在時間と吸着エネルギーの値から計算された前指数因子の値は、典型的な前指数因子の値より5桁大きく、その原因の究明が課題となっています(S. N. Atutov* and A. I. Plekhanov; ”Accurate Measurement of the Sticking Time and Sticking Probability of Rb Atoms on a Polydimethylsiloxane Coating”, Journal of Experimental and Theoretical Physics volume 120, 1 (2015))。

研究体制
 本研究は、東京農工大学大学院工学研究院先端物理工学部門の浅川寛太助教と畠山温教授、工学部物理システム工学科の西川国洋氏(2020 年 3 月卒業)、小熊優樹氏(2020 年 3 月卒業)、大学院工学府物理システム工学専攻の田中祐太朗氏、上村健太氏、大学院工学府応用化学専攻の松坂騎弘氏(2021 年 3 月修了)、大学院工学研究院応用化学部門の臼井博明教授による研究グループによって実施されました。なお、本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(17H02933)の助成を受けて実施されました。

研究成果
 本研究では、パラフィンの一種であるテトラコンタン(C40H82)の表面に、アルカリ金属原子であるルビジウム原子を照射し、入射から衝突し、検出されるまでの遅延時間を測定することによりルビジウム原子1原子ごとの表面滞在時間を見積もりました。また、本研究では、原子ビームや光ポンピング、レーザー誘起蛍光などの技術を組み合わせた新しい測定手法を提案し、これを実現するために独自に実験装置を開発しました。一般的に、原子の表面滞在時間は、吸着エネルギーと前指数因子に依存します。すべての散乱原子の前指数因子が同じであると仮定すると、先行研究による吸着エネルギーと72℃における平均表面滞在時間の値から、テトラコンタン薄膜の温度を32℃から―150℃に冷却すると平均表面滞在時間は67マイクロ秒(マイクロ秒は一秒の百万分の一の時間)増加すると予想されます。しかし、本研究で測定された平均表面滞在時間の増加は4.4マイクロ秒以下でした。これは、散乱した原子の中には前指数因子が非常に大きい成分が少量含まれており、そのような原子は他の原子に比べて極端に長い時間表面に滞在するということを意味しています(図1)。また、この極端に大きな前指数因子を持つ少数成分の存在により、見かけの前指数因子の値が大きくなっていると考えられます。

今後の展開
 本研究結果は、全散乱原子のうち極端に大きな前指数因子をもつ成分の占める割合を小さくすることができれば、表面滞在時間を大幅に短縮できることを意味しています。今後の課題は、本研究結果をもとに大きな前指数因子を持つ成分の正体の解明と、それらの割合を減らす方法の確立です。これらの課題が克服されれば、テトラコンタン薄膜のスピン緩和防止コーティングとしての性能が大幅に改善し、原子時計や原子磁力計などの飛躍的な精度向上につながると考えられます。

用語解説
注1) スピン
電子や原子などの粒子が持つ、磁石のような性質。古典的には粒子の自転運動のようなものとして解釈される。
注2) パラフィン
分子式CnH2n+2で表される有機物の総称。

図1:テトラコンタン表面におけるRb原子の滞在時間

◆研究に関する問い合わせ◆

東京農工大学大学院工学研究院
先端物理工学部門 助教
浅川 寛太(あさかわ かんた)
TEL/FAX:042-388-7554
E-mail:asakawa(ここに@を入れてください)go.tuat.ac.jp

東京農工大学大学院工学研究院
先端物理工学部門 教授
畠山 温(はたけやま あつし)
TEL/FAX:042-388-7554
E-mail:hatakeya(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp

関連リンク(別ウィンドウで開きます)

 

CONTACT