東京農工大学

化学反応前後の物性値では予測できない高分子溶液の流動を発見~分子を診る反応系流体力学の創出に向けて~

化学反応前後の物性値では予測できない高分子溶液の流動を発見
~分子を診る反応系流体力学の創出に向けて~

 国立大学法人東京農工大学大学院工学府応用化学専攻(発見当時)の植木敏允さん、多川慧さん、同大学院工学研究院応用化学部門(生物システム応用科学府生物機能システム科学専攻)の長津雄一郎准教授、日本大学医学部一般教育学系化学分野の飯島淳助教は、化学反応前後の流体の物性値だけでは予測できない、高分子溶液の流動があることを発見しました。
 今回の発見では、化学反応により液体の粘度がわずかに減少するにもかかわらず、一時的に粘弾性が著しく増加していました。この反応メカニズムの解明のために、超低濃度、超高分子量の高分子水溶液における赤外分光測定に挑み、これをATR-FTIR法※1により成功させました。一時的に電荷の高い分子が主成分となることで、分子間の電気的な架橋によって見かけの分子量が増加し、粘弾性が増加していたのです。本研究は、マクロな流動の理解にミクロな分子構造変化の解明が必要となる高分子溶液反応流の存在を実証したことになります。本成果は、分子を診る反応系流体力学という新しい学問分野の創出につながり、新たな反応器設計※2の枠組みの提案や新たなレオロジーコントロール※3法の創出といった工業上の応用が期待されます。

本研究成果は、米国化学会が発行するJournal of Physical Chemistry B (電子版5月30日付)に掲載されました。
掲載場所: https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acs.jpcb.9b02057 
また本論文の成果が掲載誌のSupplementary coverに選ばれました。
論文名: Unpredictable Dynamics of Polymeric Reacting Flow by Comparison between Pre- and Post-Reaction Fluid Properties:Hydrodynamics Involving Molecular Diagnosis via ATR–FTIR Spectroscopy
著者: Toshimasa Ueki, Jun Iijima, Satoshi Tagawa, and Yuichiro Nagatsu


<現状>
化学反応を伴う気体や液体の流動(反応流と呼ばれる)は、工業分野、環境中、生体内などで観察され、生活の至るところに存在する現象です。気体の反応流は燃焼に代表され、エンジンの開発等とも関連して、これまでに盛んに研究されています。一方、液体の反応流は、相対的に研究例が少なく、特に高分子溶液の反応流についての研究は非常に少数です。気体、液体によらず、化学反応によって流体の物性が変化することで、流動も変化します。そのため、これまでは反応前後の流体の物性値を比較することで、化学反応が流体力学に及ぼす影響を予測できることが常識とされていました。例えば、反応前後で粘度が減少するのであれば、流動中の粘度も減少すると考えられ、逆に反応前後で物性値の変化がなければ、化学反応は流体力学に影響を及ぼさないと考えることが常識でした。

<研究成果>
高分子溶液反応流研究の体系化を目指し、高分子水溶液と金属イオン水溶液の撹拌混合反応過程を系統的に調べていた中で、部分的に加水分解されたポリアクリルアミド水溶液(分子量5-6百万、濃度1重量%、pH = 9)90 mlをビーカーに入れて撹拌翼で撹拌(150回転/分)し、硝酸鉄(III)水溶液10 ml(濃度0.01 モル/リットル)を注ぐと、粘弾性の高い溶液が撹拌棒に巻きつくワイゼンベルグ効果が出現しますが、やがて消失することを偶然、発見しました(図2)。また硝酸鉄水溶液添加前後で溶液の粘性はわずかに減少することが分かりました。このメカニズムを明らかにするために、撹拌トルク(撹拌翼にかかるねじりの強さ:液体の粘弾性が高いほど大きな力がかかる)と溶液のpHを同時に測定しました(図3(a))。その結果、ワイゼンベルグ効果の出現・消失に対応して撹拌トルクが一時的に増加しました。またpHは硝酸鉄(III)水溶液添加のすぐ後に、pH = 3.4に急激に減少しました(図3(b))。さらに鉄アクア錯体の加水分解平衡式から、硝酸鉄(III)水溶液添加直後は[FeIII(H₂O)₆]3+と[FeIII(H₂O)₅(OH)]2+、添加後は[FeIII(H₂O)₅(OH)]2+と[FeIII(H₂O)₄(OH)₂]+の濃度が、他の鉄アクア錯体と比べて大きくなることを示しました。これらより、図4に示す反応モデルを提案し(図4)、このモデルが妥当であることをATR-FTIR分光計測により示しました(図5)。


<研究体制>
反応流を専門とする東京農工大学大学院長津雄一郎准教授、長津研究室卒業生、植木敏允さん、多川慧さんと、無機化学・分光化学を専門とする日本大学医学部飯島淳助教の共同研究が、この化学反応前後の流体物性では予測できない高分子溶液反応流における反応メカニズムの解明を可能としました。本研究は日本学術振興会科学研究費補助金(22686020)の援助を受けて行われたものです。

<今後の展開>
このような反応流の挙動は、①ミクロな分子構造変化の要因となる分子内および分子間相互作用が生じやすい、②粘性や粘弾性のようなマクロな流体物性値がミクロな分子構造変化に著しく依存する、という高分子溶液の持つ特徴に起因していると考えています。今後は、物理的因子(例えば、硝酸鉄水溶液の注入速度)が、ワイゼンベルグ効果の出現を制御できるかを検討します。また、どのような化学的および流体力学的条件が、化学反応前後の流体の物性値では予測できない反応を伴う流動を引き起こすのか、その普遍性の解明に挑み、分子を診る反応系流体力学という新しい学問分野の確立を目指します。

語句解説
※1  ATR-FTIR法: Attenuated Total Reflection(全反射測定法)の略で、試料表面に光を照射したとき、全反射する光を測定することによって、試料表面の吸収スペクトルを得る方法。試料調製の必要がなく、試料をそのままの状態(非破壊)で分析できる。
※2  反応器設計:本研究で示された溶液の撹拌反応混合過程における一時的な著しい粘弾性増加を把握せずになされた反応器設計では、粘弾性増加時に現れる撹拌トルクが装置の許容範囲を超える場合、装置の故障を招く可能性がある。
※3  レオロジーコントロール:流体の粘度、弾性などの流動性にかかわる物性を制御し、それを種々のプロセスで活用すること。レオロジーコントロールは塗料・食品・化粧品などの産業で広く利用されている。

参考:論文のWebページで、今回発見した現象の動画をご覧いただけます。
https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acs.jpcb.9b02057 

図1 採用されたSupplementary cover 溶液の撹拌混合反応過程における一時的な著しい粘弾性増加による一時的なワイゼンベルグ効果出現中の、溶質分子と鉄(III)イオン間の相互作用を赤外分光測定により、実証したことを表している。マクロな流動の理解にミクロな分子構造変化の解明が必要となる「分子を診る反応系流体力学」の創出を表そうとしたものである。
図2 化学反応前後の流体物性では予測できない高分子溶液反応流の事例 (a)ビーカー内で150 rpmで撹拌翼により撹拌されているpH = 9に調製された部分的に加水分解されたポリアクリルアミド水溶液(分子量5-6百万、濃度1 wt%)90 mlに、(b)10 mlの硝酸鉄(III)水溶液(濃度0.01 M)を注ぐと、ワイゼンベルグ効果が生じる。(c) 一定時間が経過すると、ワイゼンベルグ効果は消失する。
図3 (a)撹拌トルク・pH同時測定装置図 撹拌トルクは商用レオメータにより、pHは商用pHメーターにより測定した。 (b) 撹拌トルク・pH同時測定結果 硝酸鉄水溶液はt = 180 sに添加した。撹拌トルクが最大のときと、実験終了時(t = 7200 s)の流動状態の写真を示した。
図4 提案するFe³⁺アクア錯体とHPAM間の反応における分子構造変化 硝酸鉄水溶液添加直後は、[Fe(H₂O)₆]³⁺と[Fe(H₂O)₅(OH)]²⁺の濃度が他の鉄アクア錯体と比べて大きく、カルボキシレート(COO⁻)と、[Fe(H₂O)₆]³⁺、[Fe(H₂O)₅(OH)]²⁺のイオン架橋が生じ、見かけの分子量が増加する。すると、粘弾性が増加し、ワイゼンベルグ効果が生じる。反応後期は、pH減少に伴い、カルボキシレート基がプロトンを引きつけカルボキシル基になり、イオン架橋が消失し、粘弾性を失い、ワイゼンベルグ効果が消失する。
図5(a) 経時的ATR-FTIR測定の模式図 条件(I):硝酸鉄水溶液添加前、条件(II~IV):ワイゼンベルグ効果出現中、条件(II):pH = 5.5, 硝酸鉄水溶液添加後30 s、条件(III):pH = 4.9, 同300 s、条件(IV):pH = 4.7, 同720 s、条件(V):ワイゼンベルグ効果消失後、同1290 s (b) 条件(I~V)におけるATR-FTIR測定結果 反応の進行に伴い、カルボキシル基に由来する(別測定により同定)1520 cm⁻¹でのバンドピークの増加を捉えることに成功した。

◆研究に関する問い合わせ◆

東京農工大学大学院工学研究院応用化学部門
(生物システム応用科学府生物機能システム科学専攻)
准教授  長津 雄一郎
 TEL/FAX:042-388-7656/042-388-7693
 E-mail:nagatsu(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp

日本大学医学部 一般教育学系化学分野
助教  飯島 淳
 TEL:03-3972-8111(内線2296)
 E-mail:iijima.jun(ここに@を入れてください)nihon-u.ac.jp

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