〔2015年9月8日リリース〕マウス組織に投与した低分子化合物の濃度分布測定に成功

「マウス組織に投与した低分子化合物の濃度分布測定に成功」
―生体への薬剤作用機構解明へ新たな手法―


【ポイント】
・低分子化合物の濃度分布を、組織内でそのまま測定する新しい方法を開発しました。
・薬剤が生体組織内で局所的に存在する様子を測定する方法への道が開かれました。
・将来的に、薬剤の作用機構の解明と新しい治療薬開発への応用が期待できます。



東京農工大学大学院工学研究院の三沢和彦教授の研究グループと、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科神経機能形態学分野の寺田純雄教授と川岸将彦助教らは、ワイヤード株式会社との共同研究で、固定したマウス眼球角膜に投与した低分子化合物の濃度分布測定に成功しました。
本研究成果は、国際学術誌Scientific Reports(サイエンティフィックリポーツ)に、2015年9月10日午前10時(英国時間)にオンライン版で発表されます。
なおこの成果はJST先端計測分析技術・機器開発プログラムならびに文部科学省科学研究費補助金、日本学術振興会二国間交流事業の支援のもとでおこなわれたものです。

【研究の背景】
医療現場で使用される薬剤や、基礎科学研究において使用される低分子生理活性物質の分子レベルの作用機構を解明する上で、その物質が機能を発揮する際に、細胞内のどこでどのように存在しているかは重要な情報になります。一般にタンパク質などの大きな生体分子の局在、動態を調べるには、蛍光タンパク質や蛍光色素などにより目印をつける手法が広く使われています。しかし、分子量が数百程度の低分子化合物の場合、蛍光色素などの大きな分子を目印としてつけると、観察したい分子自体の性質が変化してしまいます。
低分子化合物の検出法としては、従来、化学的に目印をつけるものや放射性同位体による目印を利用するもの、生体分子にレーザーを照射し、それによってガス化した分子を観測する質量分析イメージング、赤外分光やラマン分光などの分子が吸収または放射する光を見る方法などが使用されてきました。しかしながら生体組織内では細胞と同じくらいの大きさの微小領域で物質量を観察するため、化学的に目印をつけた低分子化合物を抽出して検出することは困難です。放射性同位体による目印は高感度ですが、合成に手間がかかります。また、長い測定時間が必要で、ある一点の測定しかできません。質量分析イメージングでは、生体組織内には多くの分子が存在するため、見たい薬剤が見えにくくなります。また、試料の調製が必要なために、時間変化を観察するのには向きません。一方、赤外分光やラマン分光は、比較的容易に測定が可能で、時間変化も観察できますが、今までにあった方法では感度が不足していました。このように、低分子化合物がどこにいるのかを感度よく、かつ時々刻々と変化していく様子を、時間を追って測定する方法は確立していません。目印なしに特定の低分子化合物が生体組織内のどこにどの程度分布するか、検出する方法の実現が望まれてきました。

【研究成果の概要】
本研究では、分子が放射または吸収する光を見る方法の一つである、ラマン分光を用いた方法の改善を目指しました。ラマン分光では、分子の構造の違いによって吸収、放射光の色の違いを利用し、測定した光にどの色がどれくらい含まれているかを示す分子振動スペクトルを調べます。この分子振動スペクトルを測定する手法として、スペクトル位相を操作したパルスレーザー光を使用する「位相制御コヒーレントラマン顕微分光法」の開発、高感度化を行いました。
コヒーレントラマン散乱は、周波数の異なる2本のレーザー光を分子に照射し、これらのうなりの周波数(それぞれのレーザー光の周波数の差にあたる)を分子の持つ固有な振動と共鳴させ、さらに3本目のレーザー光を照射して、うなりの周波数との和の周波数をもつ新しい光を放出させます。この信号光の周波数から、分子固有の振動周波数を計測できます。コヒーレントラマン散乱は、多光子過程であるため、従来のラマン散乱を用いた顕微鏡法よりも、縦横および深さ方向にも高い空間解像度が期待できます。得られる分子振動スペクトルの内、特に周波数の低い領域は、信号強度は低いにも関わらず、分子特有のパターンを示すことが多いことが知られています。
本研究では、位相制御装置を使用して、広いスペクトル帯域を有する単一の超短パルスレーザー光から、上述の3本の光の役割を単一のレーザービームとして顕微鏡に導入する、位相制御コヒーレントラマン顕微鏡のプロトタイプ機を利用しました。この方法を時間分解法と組み合わせることにより、従来は困難であった周波数の低い領域の分子振動スペクトルを高感度で検出することが可能になりました。
生体組織内での低分子化合物薬剤の測定のモデルケースとして、市販の眼科用薬などに比較的多く添加されるアミノ酸類似化合物であるタウリンを使用しました。マウスより採取した眼球角膜をタウリン溶液に浸漬し測定を行い、角膜中の濃度分布を検出することに成功しました(図下段のグラフ参照)。

(図)マウス角膜試料における深さ方向のタウリン濃度測定結果
上段左側が赤外分光法、右側がコヒーレントラマン分光法による測定の模式図
下段はそれぞれの測定プロファイル(赤外分光法FT-IRが黒、コヒーレントラマン分光法CARSが赤)

【研究成果の意義】
従来、分子が放射または吸収する光を見る方法によってこの種の定量を行うには、水による赤外線の吸収を避けるために試料を乾燥させる必要がありました。また、顕微鏡観察時に深さ方向の解像度が低いために、生体試料を凍結し、薄切りにする必要がありました(図上段左側の模式図参照)。今回の研究では、薄切りにしないままの組織を、乾燥させずに(図上段右側の模式図参照)、従来の方法と同等以上の精度で濃度分布の観測に成功した点が革新的です(図下段のグラフ参照)。今回の結果は固定試料を用いたものですが、体内環境と同じ湿潤状態に保ったままでの測定は、将来的に生きた組織での測定の道を開くものです。試料に化学的な影響を及ぼさず、試料が破壊されないので、同じ試料の繰り返し測定が可能となり、時間的にどのように分布が変化するかをも見ることができる点も大きな特長です。
今回の研究では、元来生体組織内には(ほとんど)含まれない物質を、外から過剰量を投与した場合にどのような濃度分布を示すかについて測定を行いました。タウリン純粋溶液の場合、開発したプロトタイプ機ではミリモル濃度レベルの感度に到達していますが、今後は更に測定感度を上げて、組織に存在する様々な化合物のスペクトルの中で、特定の物質をどこまで少ない量で検出できるかを探ることが課題になります。
今回の結果をもとに装置の開発、改良を進めることにより、生体組織内での低分子化合物の分布を測定し、可視化する手法が確立できることが期待されます。測定対象を選ぶことにより、生命科学研究や薬剤開発、医療の分野での広範な応用が期待されます。平成27年度からは、AMED先端計測分析技術・機器開発プログラムの一環として、医療応用に向けた研究開発を進めています。

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