哺乳類の気管上皮細胞と嗅神経細胞が持つ繊毛の方向性と膜の独立性を保つ仕組みを解明
哺乳類の気管上皮細胞と嗅神経細胞が持つ繊毛の方向性と膜の独立性を保つ仕組みを解明
国立大学法人東京農工大学大学院工学府生命工学専攻の酒井敬史大学院生(研究当時:現在は特任助教)と同大学院工学研究院生命機能科学部門の篠原恭介教授らの国際共同研究グループは、哺乳類のモデル生物マウスにおけるTppp3 (Tubulin Polymerization Promoting Protein Family Member 3) 遺伝子の機能を解析する事によりこれまでに知られていなかった気管上皮と嗅上皮の組織にある繊毛細胞が正確な方向性と繊毛膜構造の独立性を獲得する仕組みを明らかにしました。この仕組みにより繊毛が適切な方向に揃って生えることで、様々な機能を発揮することが可能となっています。この成果により、今後、呼吸器の異常や嗅覚障害が引き起こされる仕組みの解明への展開が期待されます。
本研究成果は、米国科学アカデミー紀要(PNAS)12月1日付に掲載されました。
論文タイトル:Tppp3 determines basal body positioning and identity of respiratory cilia via microtubule assembly and sphingolipid homeostasis
URL:https://doi.org/10.1073/pnas.2503931122
背景
ヒトの体内には気管・脳室・卵管・精巣などに動く繊毛を持つ細胞があります。動く繊毛は細胞外に流れを発生させる事により病原体の排除・老廃物の除去・生殖などの機能を担っています。繊毛が生じる繊毛細胞では、細胞内部の中心体(後に基底小体という名称に変化)が細胞膜に結合する事で基盤が形成され、そこから繊毛が細胞外に突出する様に伸長します。中心体/基底小体は繊毛伸長の基盤となるだけでなく、細胞内の繊毛の方向性と配置を決める事、また基底小体の配置と方向性は微小管と呼ばれる細胞骨格タンパク質が作る構造により制御される事がこれまでの研究から分かっていました。しかしながら、この微小管構造が細胞内で作られる詳しいしくみは分かっていませんでした。
研究体制
本研究は、東京農工大学大学院工学府の酒井敬史氏(現在、特任助教)、川北賢宏氏、関嵐氏、倉田明咲氏、鳥飼純平氏、渥美颯志郎氏、矢幡堪二氏、同大学大学院工学研究院の野井健太郎特任助教(現在、神戸大学特命助教)、生命機能科学部門の福谷洋介准教授、津川裕司教授、篠原恭介教授、同大学大学院農学研究院動物生命科学部門の永岡謙太郎教授、応用生命化学部門の小薗拓馬助教、同大学学術研究支援総合センター機器分析施設の野口恵一教授、徳島大学先端酵素学研究所の高岡勝吉准教授、理化学研究所生命機能科学研究センターの清川寛文研究員(現在、ボストン大学リサーチアシスタントプロフェッサー)、森本充チームディレクター、濱田博司チームリーダー(研究当時、現 インド国立生物科学センター/タタ基礎研究所バンガロール・教授)、国立精神・神経医療研究センター神経研究所の竹内絵理研究員(現在、東京都健康長寿医療センター研究所研究員)、峰岸かつら室長、青木吉嗣部長、学習院大学理学部の藤村章子研究員、西坂崇之教授、ジョンズホプキンス大学の井上尊生教授、静岡県立大学食品栄養科学部の林久由准教授、名古屋大学総合保健体育科学センターの石黒洋教授、東京都健康長寿医療センター研究所の大澤郁朗研究副部長(研究当時)、藤田泰典専門副部長、デューク大学の松波宏明教授らによって実施されました。本研究はJSPS 科研費(19K06560、21H05307)、JST 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR13W5)、JST 戦略的創造研究推進事業 ERATO「有田リピドームアトラスプロジェクト」(JPMJER2101)、武田科学振興財団ライフサイエンス研究助成、東京農工大学グローバルイノベーション研究院(GIR)の支援を受けて行われました。
研究成果
本研究では、細胞骨格の1種である微小管の形成に関与すると考えられてきたTppp3(Tubulin Polymerization Promoting Protein Family Member 3)遺伝子のマウス個体における機能を明らかにしました。Tppp3遺伝子はマウスの空気の通り道である気管組織と匂い物質を感じる嗅上皮組織に発現している事が分かりました。Tppp3遺伝子を欠損した遺伝子改変マウスを作製し観察したところ、通常のマウス(野生型マウス)とは異なり、Tppp3遺伝子欠損マウスでは気管繊毛運動の頻度が低下し、咳・くしゃみを頻繁に示す事が分かりました(図1)。さらに、Tppp3遺伝子欠損マウスはエサの匂いを感じ取る能力が野生型マウスに比べて有意に低下している事が分かりました。
次に、これらの異常の原因を探るため、マウスの気管と嗅上皮組織の細胞の観察を行いました。その結果、気管上皮組織にある繊毛細胞の運動方向性と嗅神経細胞が持つ匂い物質を感じる繊毛の形成にそれぞれ異常がある事が分かりました。野生型マウスでは、気管繊毛の基部を構成する基底小体は、口腔側を向いて配置されていますが、Tppp3遺伝子欠損マウスでは、この基底小体の方向がランダムになっている事が分かりました。この原因を調べたところ、Tppp3タンパク質が生後すぐに細胞内で高密度の微小管構造を形成するために機能し、この微小管構造が基底小体の正しい方向性を決めるために必須である事が分かりました。
また野生型マウスでは、嗅神経細胞の繊毛の基底小体が細胞体で複製された後に組織表面のknobと呼ばれる構造の表面まで移動し、細胞膜表面に結合する事で繊毛の形成の基盤となります。一方Tppp3遺伝子欠損マウスでは、この基底小体の移動に必要である樹状突起内の微小管構造が消失し、基底小体がknobまで移動できない事が分かりました。
さらに、気管の別の異常として繊毛膜の変化を発見しました。野生型マウスでは、気管表面の繊毛は一つの細胞から多数生えておりそれぞれ独立の膜構造を有しています。一方で、Tppp3遺伝子欠損マウスでは隣り合った気管繊毛の膜が互いに融合し大きな繊毛の束が形成される異常が確認されました。この原因を調べるために気管繊毛を単離し液体クロマトグラフィー質量分析を用いたノンターゲットリピドミクス(注1)と生化学的な解析を実施したところ、Tppp3遺伝子欠損マウスの繊毛では野生型マウスの繊毛に比べてスフィンゴ脂質である長鎖セラミドとスフィンゴミエリンの含有量が相対的に増えている事が分かりました。セラミドは細胞膜の流動性に影響する脂質として知られており、細胞内小器官である小胞体で生合成されると考えられています。野生型マウスの気管繊毛細胞では細胞全体で小胞体が配置されているのに対して、Tppp3遺伝子欠損マウスでは細胞内の繊毛根本の領域に集中して小胞体が配置される事が分かりました。この結果、繊毛の膜に対してセラミドが過剰に供給された可能性があります。
以上の事から、今回研究対象となったTppp3遺伝子は気管繊毛細胞と嗅神経細胞の内部の特徴的な微小管構造の形成を介して繊毛基部の性質、細胞内小器官の配置、および繊毛膜の適切な脂質組成を制御する事が明らかとなりました(図1)。
今後の展開
本研究で観察された気管繊毛膜の融合や嗅神経細胞の異常は呼吸により体内に入るウイルスの感染時にも引き起こされる事がこれまでに報告されています。本研究で得られた知見により今後、呼吸器疾患の理解がより深まる事が期待されます。
用語解説
注1 )ノンターゲットリピドミクス
分析対象を絞らない脂質分子種解析の方法。具体的には、液体クロマトグラフィータンデム型質量分析(LC-MS/MS)を用いて、液体クロマトグラフィーより溶出したすべての分子をイオン化し、検出する。検出されたイオンの分子構造を、同時取得可能な断片化イオンスペクトルに基づき推定を行う。断片化イオンスペクトルとは、質量分析装置内部の衝突室と呼ばれるところでエネルギーを与えて分子イオンを断片化することによって得られるマススペクトル(MS/MSとも言う)を意味する。ノンターゲットリピドミクスで用いられる開裂手法は、衝突誘起解離(collision induced dissociation: CID)と呼ばれるものである。
図1:気管と嗅上皮組織におけるTppp3蛋白質の役割。Tppp3は気管運動繊毛細胞(上)と嗅神経細胞(下)それぞれの細胞内部の微小管構造形成を担う事で繊毛の方向性・膜の独立性・中心体の配置を制御する。Tppp3遺伝子を欠損した遺伝子改変マウスでは咳・くしゃみ、および嗅覚障害の表現型を示す。
◆研究に関する問い合わせ◆
東京農工大学大学院工学研究院
生命機能科学部門 教授
篠原 恭介(しのはら きょうすけ)
TEL/FAX:042-388-7793
E-mail:k_shino(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp
◆報道に関する問い合わせ◆
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Tel:042-367-5930
E-mail:koho2(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp
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東京都健康長寿医療センター 総務係広報担当
TEL:03-3964-1141
E-mail:kouhou(ここに@を入れてください)tmghig.jp
関連リンク(別ウィンドウで開きます)
- 東京農工大学 篠原恭介教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 酒井敬史特任助教 研究者プロフィール
- 東京農工大学 福谷洋介准教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 津川裕司教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 永岡謙太郎教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 小薗拓馬助教 研究者プロフィール
- 東京農工大学 野口恵一教授 研究者プロフィール
- 東京農工大学 篠原恭介教授、野口恵一教授、福谷洋介准教授 研究室WEBサイト
- 東京農工大学 津川裕司教授 研究室WEBサイト
- 東京農工大学 永岡謙太郎教授 研究室WEBサイト
- 東京農工大学 小薗拓馬助教 研究室WEBサイト
- 篠原恭介教授、野口恵一教授、津川裕司教授、福谷洋介准教授が所属する 東京農工大学工学部生命工学科
- 永岡謙太郎教授が所属する 東京農工大学農学部共同獣医学科
- 小薗拓馬助教が所属する 東京農工大学農学部応用生物化学学科