1つの出発物質から活性化方法を変えるだけで異なる不斉分子を作り分ける「分子変換スイッチ」を実現:医薬品・生物活性分子合成に新たな道

1つの出発物質から活性化方法を変えるだけで異なる不斉分子を作り分ける「分子変換スイッチ」を実現:
医薬品・生物活性分子合成に新たな道

 国立大学法人東京農工大学大学院工学府応用化学専攻 谷川颯(博士前期課程2年生)、橋本莉奈(修了生)、同大学院工学研究院応用化学部門 小峰伸之助教ならびに平野雅文教授の研究チームは、ケイ素置換基を「分子変換スイッチ」として利用することで、1つの不斉化合物を出発物質にケイ素化合物の活性化方法を変えるだけで全く異なる2種類の不斉分子を選択的に合成することに成功し、生物活性分子前駆体を不斉合成しました。これらは天然物や医薬品などの生物活性分子への新経路を提供するものであり、実際に生物活性分子前駆体の合成に成功しました。

本研究成果は、アメリカ化学会Organic Letters誌(6月20日付電子版)に掲載されました。
論文名:Protodesilylation as a Stereochemical Switch: Divergent Asymmetric Synthesis from Chiral Skipped DIenes
URL:https://doi.org/10.1021/acs.orglett.6c02252

現状
 生体内に含まれるアミノ酸をはじめ、多くの生物活性分子や医薬品には、右手系または左手系のいずれかの立体構造をもつ炭素原子(不斉炭素原子)が含まれます。不斉炭素は結合する4つの原子や基がすべて異なっており、不斉炭素をもつ化合物は、構成する原子の種類と数は同じであるものの立体構造が異なります。その立体構造の違いによって生物活性が大きく変化することが知られています。

 不斉炭素原子を構築するためには、必ず結合の形成が必要となります。例えば、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治らは炭素―水素結合の形成による不斉炭素原子の構築法を、バリー・シャープレスらは炭素―酸素結合の形成による不斉炭素原子の構築法を開発しました。一方で、医薬品や生物活性分子などの有機分子の骨格を構成するうえで最も重要な炭素―炭素結合の形成により不斉炭素原子を構築する方法は、数多く研究されているものの、利用できる反応は依然として限られていました。

 不斉炭素原子をもつ化合物は、日常生活でも多く利用されており、医薬品では実に50%以上が不斉化合物とされています。例えば、不斉シクロプロパン骨格は殺虫剤はじめとして、抗がん剤(分子標的薬)、抗感染症薬、循環器系治療薬などに見られる生物活性分子に重要な構造モチーフです。しかし、その効率的な短段階構築法は限られていました。特に、3つの不斉炭素原子を1段階で構築する方法はこれまでに知られていませんでした。

 また、共通の出発原料として、異なる複数の化合物を生成する反応をダイバージェント反応と呼びます。共通の出発原料であっても反応の相手(パートナー)となる試薬が異なれば、当然ながら異なる化合物が生成します。しかし、同じ試薬を反応させた際にも異なる生成物を与える反応はほとんど知られていませんでした。さらに不斉炭素原子をもつ出発原料から同じ反応基質を用いて、まったく異なる不斉化合物を与える不斉ダイバージェント反応は、多様性のある生物活性分子の合成戦略に不可欠な鍵反応でした。

研究体制
 本研究は、東京農工大学工学府応用化学専攻 谷川颯(博士前期課程2年生)、橋本莉奈(修了生)、同大学院工学研究院応用化学部門 小峰伸之助教および平野雅文教授により実施されました。この研究は、科研費基盤研究(B)の一部(JP24K01479)、および北興化学工業株式会社共同研究費の一部、などにより行われました。

研究成果
 本研究で用いた分子にはケイ素置換基(注1)が導入されています。一般に、ケイ素置換基を水素に置き換える反応は「プロト脱シリル化」と呼ばれます。ケイ素置換基は安定性が高いために有機合成化学では保護基などとしてよく用いられています。しかし、本研究では、このケイ素置換基が単なる保護基や補助的な置換基ではなく、分子の変換経路を決定する重要な役割を果たすことを見いだしました(図1)。

図1. ケイ素置換基の活性化方法により共通分子から2種類の異なる不斉化合物を選択的に作り分ける「分子変換スイッチ」を実現

 具体的には、同じ出発物質であっても、プロト脱シリル化を誘起する試薬を変えるだけで同じ反応剤であるプロトン(水素イオン)との反応においても反応経路が切り替わり、全く異なる種類の不斉分子を選択的に不斉合成できることを明らかにしました。すなわち、ケイ素置換基が「分子変換のスイッチ」として機能し、そのスイッチを入れる試薬の違いによって生成物を狙い通りに作り分けられる、まったく新しい不斉合成法を開発しました。

1. 独自の不斉触媒によるケイ素置換基をもつ不斉化合物の合成
 森の香り成分である酢酸ボルニルから誘導した独自の不斉ルテニウム錯体触媒1aにより、ケイ素(Si)置換基を持つ共役ジエン2とアクリル酸エステル3との触媒反応を行いました。その結果、炭素―炭素結合の形成時にルテニウムの不斉情報が生成物に転写されたケイ素置換基を持つ不斉スキップジエン(1,4-ジエン)4aを完全な立体選択性(不斉収率(注2)は99% ee以上)かつ高収率(97%)で得ることに成功しました(図2)。この化合物4aは1つの不斉炭素原子(*印のある炭素)を1つ持ちます。

図2. 不斉スキップジエン(1,4-ジエン)4aの合成(Bnはベンジル基 CH2C6H5

2. 1つの不斉炭素原子の立体情報をもとに3つの不斉炭素原子構築への挑戦
 一般にケイ素の置換基はフッ化物イオンと強い結合を形成するため、フッ化物イオンの添加により、最も弱いケイ素―炭素結合が開裂することが知られています。このためフッ化物イオンとの反応を検討し、その過程でヨウ化銅(I)を触媒として加えたところ、化合物4の1つの不斉炭素原子の不斉情報をもとに3つの連続する不斉炭素原子が形成されたビニルシクロプロパン5が生成することがわかりました(図3)。5の立体選択性は高く、最大で98% eeとなりました。

 このようにキラルスキップジエンから3連続不斉キラルシクロプロパンが不斉誘導により合成された例は初めてです。この反応ではアリル銅(I)中間体を経て立体選択的に不斉誘導が進行し、単一のジアステレオマー(3つの不斉炭素原子を持つ1種類の異性体)が生成することがわかりました。

図3. ケイ素置換基の活性化を鍵とする分子変換スイッチによる不斉合成

 また、ケイ素の置換基の活性化はフッ化物イオンを用いることが多いですが、各種検討の結果、四塩化チタンを用いた場合にはビニルシクロプロパンではなく、不斉1,5-ジエンが生成することを発見しました。はじめに化合物4をそのまま四塩化チタンと反応させた場合には収率が低かったため、あらかじめ4のアクリル酸エステル由来の炭素―炭素二重結合をE体(トランス体)に異性化させたのちに、四塩化チタンを反応させることで不斉1,5-ジエン6を高収率(〜96%)、かつ極めて高い不斉収率(98% ee)で合成しました(図3)。  
 このようにケイ素置換基をスイッチとして、その活性化方法を変えるだけで分子変換の経路を切り替えて異なる分子を作り出すことができることを見出しました。

3. 1,5-ジエンの不斉合成とロホトキシン前駆体不斉合成への挑戦
 この手法により不斉スキップジエンから不斉1,5-ジエンが生成することが明らかとなったため、6を不斉合成し、6から海洋天然物ロホトキシン(注3)前駆体の不斉合成を試みました(図4)。その結果、化合物6を還元することでアリルアルコール7を極めて高い立体選択性(98% ee)かつ高収率(80%)で合成しました。次の段階として、当初は不斉誘導によるエポキシ化を試みましたが、ジアステレオ選択性(注4)が悪かったため、再検討したところ香月・シャープレス酸化(注5)の手法によりより高いジアステレオ選択性で化合物8を得ました。この化合物は海洋天然物ロホトキシンの前駆体として報告されています。

図4. 本反応を利用した海洋天然物ロホトキシン前駆体の不斉合成

今後の展開
 今回の発見により、ケイ素置換基の脱離が同じ反応基質であるプロトン(水素イオン)との反応においても異なる不斉化合物を与える反応のスイッチとなることが明らかとなりました。不斉炭素原子をもつ医薬品や天然物などの生物活性分子の合成に新たな経路をもたらしました。今回の論文では、立体選択性の鍵となる反応機構の解析なども行っていますが、今後はこれらの新概念の基に、より多くの生物活性分子の合成を目指した反応展開を行います。

用語説明
注1)ケイ素置換基
ケイ素の置換基は比較的安定であることから保護基などとしても広く使われており、置換基名としてはシリル基と呼ばれます。ここでは多くの方にイメージしやすくするためにケイ素置換基としました。ケイ素の元素記号はSi。

注2)不斉収率
鏡像体過剰率ともよばれ鏡像異性体(右手系または左手系の化合物)がどれだけ多くに存在するかの指標となります。例えば右手系と左手系の化合物が50:50であるときは0% eeと表示し、90:10で存在するときは80% ee、99.5:0.5で存在するときは99.0% eeとなります。

注3)ロホトキシン
太平洋産のヤギ類サンゴの仲間から単離された神経筋毒素であり、古典的な神経毒にくらべてユニークな受容体との相互作用を有しているため、受容体構造の解明とも関連して注目されています。また有機合成化学的には、フラノセムブノリドと呼ばれる環状ジテルペノイドであり、分子内に不安定なフラン環、エポキシド、ラクトン環が密集した構造をしているためその立体選択的合成に興味が持たれ、全合成の標的化合物として研究されています。

注4)ジアステレオ選択性
不斉炭素原子が1つしかない化合物では、右手系と左手系の2種類の分子しかありませんが、これらは沸点や融点、さらには旋光度を除く分光学的な特徴は全く同じです。不斉炭素原子が2つある非対称な分子では、(右手、右手)、(左手、左手)、(右手、左手)および(左手、右手)の4種類存在し、(右手、右手)および(左手、左手)の組み合わせと、(右手、左手)および(左手、右手)の組み合わせとはそれぞれ鏡合わせの構造としての違いしかないため、沸点や融点などの物性はそれぞれ同じです。しかし、(右手、右手)と(右手、左手)などは鏡合わせの構造ではなく、物性も異なります。これらをジアステレオマーとよび、どちらの組み合わせが多くできるかの割合をジアステレオ選択性といいます。ちなみにジアステレオマーの数は不斉炭素原子の数に依存し、n個の不斉炭素原子がある場合には(2n-2)個存在します。

注5)香月・シャープレス酸化
アリルアルコールの不斉エポキシ化(酸素1つ炭素2つからなる三環式化合物)の方法で、チタン化合物と酒石酸ジエチルと過酸化物を用いて反応を行います。

 
◆研究に関する問い合わせ◆
 東京農工大学大学院工学研究院
  応用化学部門 教授
  平野 雅文(ひらの まさふみ)
   TEL/FAX:042-388-7044
   E-mail:hrc(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp

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