生体組織音速の非侵襲音波トモグラフィ計測
−内臓脂肪検査への応用を中心にして−



  目 次 



1. 生活習慣病の予防手段としての内臓脂肪検査

  最近、メタボリック症候群(代謝症候群)という言葉を頻繁に耳にするようになりました。心疾患、脳血管疾患、糖尿病の3つの病気は、生活習慣病と呼ばれ、平成18年度厚生労働省人口動態統計によれば日本人の死亡原因の29%もの割合を占めています。最近の研究により、高血糖、高血圧、高コレステロール、腹部肥満の4つの危険因子を複数抱えている人の生活習慣病の発病リスクが高いことが明らかになりました。

  そこで、予防医療を推進し医療費を抑制する観点から、上記の危険度の高い人をメタボリック症候群と診断して病気を防ぐための取り組みがなされるようになりました。そのメタボリック症候群の診断は、内臓脂肪面積が100m2以上の腹部肥満に該当し、なおかつ、コレステロール値、血圧、血糖値の検査値が基準を超えるものが二つ以上あるかどうかでもって判定します。メタボリック診断を有効に生かすためには、必須要件となっている腹部肥満(内臓脂肪量)を日常的にモニタリング検査する必要があります。

  ところが、内臓脂肪検査は現在X線CTを用いて行うことが望ましいとされていますが、放射線被爆の問題のために日常的に頻繁に検査する手段として不向きです。この欠点を補う意味で、腹囲(ウエスト周囲径)の測定検査(男子で85cm以上、女子で90cm以上の場合を腹部肥満とする)で代用しても良いとされています。しかし、皮下肥満と内臓肥満を区別できないなど、信憑性に欠ける欠点があります。現行の内臓脂肪測定法は以上のような問題を抱えており、家庭や診療所レベルで簡易かつ頻繁に検査できる検査装置の実現が望まれます。

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2. 音波トモグラフィ計測の目的

 体を傷つけない非侵襲な医療診断手段として、X線CT(X線断層映像)、MRI(核磁気共鳴映像)、超音波エコー映像、などの画像診断手段があります。ところが、これらは主に体内の形態的な映像情報を提供することが主で、必ずしも組織の物理的特性を再現できるわけではありません。音波を媒体とした検査では、音速や音響インピーダンス、或いは体積弾性率が、生体内の音響的物理パラメータです。音波トモグラフィは、これら生体媒質固有の音響的物理パラメータ分布を再現できる映像法として期待されます。トモグラフィというのは断層撮影法という日本語の訳です。
  その方法は、検査対象媒質の周囲に音波センサを多数配置し、送受信器を組み合わせた複数の経路上で音波の伝搬時間を測定します。音波トモグラフィは、これらの伝搬時間の測定データをもとに、対象媒質の物理パラメータとしての音速分布を再現するための映像法です。ここで、音速cは、媒質の体積弾性率 K、密度ρ に対して、 c=√K/ρ の関係にあります。人体軟組織においては、密度ρ をほぼ一定とみなすことができ、その場合、音速cの二乗が体積弾性率Kに比例します。この時、音速分布が分かれば、硬さに関する情報である体積弾性率 K を知ることができます。
  
  内臓脂肪検査の対象となる、へその高さにおける人体腹部断面の概略図を図1に示します。体表を囲む皮下脂肪の内側に、腹筋および背筋の筋肉が、背部には脊髄が存在しています。また、内臓領域には腸や腎臓があり、これらの臓器の間を内臓脂肪が占めています。各々の領域の音速は図2に示すような値になります。脂肪領域の音速は1450m/s付近であり、筋肉や腎臓等の蛋白質領域に比べて100m/s程度音速が遅いことが分かります。この事実をもとに、本研究では音波トモグラフィ法を用いて腹部断面の音速分布を再現し、その音速値の違いから内臓脂肪面積を測定します。

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3. 音波トモグラフィの問題設定

 体内組織の映像化を目的として,図3のように体表上の複数の場所に音波の送受信器を配置します。送信器をパルス駆動した際に媒質中を伝搬する音波を体表上の対向側の受信器で受波します。ただし,強散乱体である脊髄においては、軟組織に比べて音波の散乱や減衰の影響が強く映像化の前提条件を満足しないため、測定対象のデータから除外します。トモグラフィ計算にあたって、送受信器間を直線で結んだ経路上を直進した音波の伝搬時間は、最短時間で届く観測波の到着時間に等しいと仮定します。いま、観測経路数Mの測定を行い、m番(m=1〜M)の直線経路lm上の送受信音波の伝搬時間を τm、媒質音速をc(x,y)とします。この時、 mとc(x,y)の間に次式の関係を考えることができます。
    for m=1,‥‥,M    (1)
ここで、fはf=1/cの逆音速、dlは経路上の線要素です。式(1)は、伝搬時間τm が直線経路lm上でfを経路積分した結果に等しいという関係を表しています。媒質周囲上のM個の送受信経路で測定した複数の伝搬時間データ τm が式(1)の基礎方程式を満足するように、逆音速fの解を求める音波トモグラフィ問題を考えます。

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4. トモグラフィ計算のアルゴリズム

 コンピュータを用いて問題を解くために、図4のように画像領域を離散化してN個の画素に分割します。連続座標(x,y)を離散化した画素の番号をn(=1〜N)で表す約束のもとに、n番の画素の逆音速をfnと表します。また、画素nに交わるm番の経路の長さをWmnとします。このとき、式(1)は次式の離散表現式に書き換えることができます。

 for m=1〜M     (2)

さらに、f=[f1,‥‥,fN]t(N行1列、tは転置), τ=[τ1,‥‥, τM]t(M行1列)のベクトル、W=[Wnm](M行N列)のマトリクス、を表す約束のもとに、次式のマトリクス方程式に書き換えることができます。
                 (3)

式(3)のfの解は、逆行列もしくは擬似逆行列を用いることよって求めることができますが、計算量が増大してしまう欠点があります。そのため、ART法(代数学的画像再構成法)や共役勾配法などの逐次計算に基づいた計算手法が使われます。ところが、本問題においては脊髄を通る経路上のデータが使用できないことや、画素数Nに比べて観測経路数Mが極端に少ない悪条件のもとでの問題に対処する必要があります。このために、本研究ではART法を改良した経路平滑化ART法を提案しています。本手法は適当な初期画像から始めて、fを更新するための逐次計算を繰り返す方法です。すなわち、q 回目の逐次計算における推定画像を fq とするとき、経路jの伝搬時間データの測定値 jと推定画像 fq より計算される伝搬時間の推定値Wj f qとの間の次式の誤差 jqを計算します。
            (4)
ここで、WjはWのj行目の行ベクトル、||Wj||2はWjの2乗ノルムを表します。
式(4)の誤差 εjqに、j番の経路についての修正重み関数 1行N列のベクトル)を掛けて、次式に従って推定画像f qを更新します。
    (5)
全画素をゼロにした初期値f 0より始めて、式(5)の修正計算を繰り返し、誤差が閾値より小さくなったところで計算を終了します。通常のART法においては重み関数をWjtに等しく選びますが、N>>Mとなって観測経路数が画素数より極端に少ない場合、経路に交わらない画素が多数発生してしまい満足な画像が再現できなくなります。そこで、本提案法では重み関数を、本来のWjtよりも広い範囲に渡って値を持つ分布関数に選びます(の概略を図4に示しますが、紙面の関係上詳細は省略します)。これにより、N>>Mの悪条件下においても、経路に交わらない画素がなくなり、全画素にわたって万遍なく修正計算を施すことが可能になります。

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5. 内臓脂肪測定の手順

 人体腹部断面の各組織の音速値を表1のように設定したサンプル画像を用意します。数値差分法による波動伝搬計算を行うことにより、体表面に設置した送受信器間の伝搬時間差データをシミュレーション計算します。その合成データをもとにした音速映像の再現例を示しながら、内臓脂肪測定の具体的な手順を説明します。

図5に示すように、直径300mmの円周上32等分点の一箇所に送信器を配置し、円周上16等分点の対向した15地点に配置した受信器で受波します。この測定を一組として、送信器を32等分点の他の場所に移動させ同様の測定を繰り返します。これにより、全部でM=240経路上(送受信器を入れ替えた重複経路を除いた径路)で、伝搬時間データを取得します。その際、図6(a)に示すように、通常は背景波(背景媒質中の受信波)とほぼ同じ波形で到達時間だけが異なる波が受波されます。

これに対して、図6(b)(c)のように脊髄もしくはその付近を通過した波や、音速差が大きい筋肉/脂肪境界に平行な径路上を伝搬した波は、本来の直進伝搬成分に回折した径路で伝搬した受信波が重畳するため、大きなひずみを伴って観測されます(背景波との振幅差が大きくなる)。このため、ここでは径路ごとに受信波のひずみを判定し、一定以上に大きなひずみを持つ受信データは、トモグラフィ計算の対象から除外します。

図7(a)のサンプル画像に対して計算された伝搬時間データをもとに再現した音速映像を図7(b)に示します。カラーバーに示すように背景音速(1500m/s)より速い領域を赤色系で、遅い領域を青色系の色で示してあります。音速の遅い脂肪領域と音速の速い筋肉や腎臓領域が、おおよそ原画像に一致する場所に再現されている様子が確認できます。



 皮下領域と内臓領域の両者を分離するために、まず(c)のように音速が1500m/s以上の非脂肪領域を抽出します。その後、筋肉領域の内側が内臓領域の外周に当たることを利用して、(d)のように内臓領域の輪郭を推定し、さらに(e) のように内臓マスク画像を作成します。(b)の音速再現画像から音速の遅い脂肪領域を抽出し、(e)の内臓マスク画像でマスクすることにより、最終的に(f)の内臓脂肪領域が抽出されます。最後に、この抽出画像から内臓脂肪面積を求めることできます。

  以上のシミュレーション方法に従って、体型が様々に異なる12種類の腹部サンプル画像について、内臓脂肪面積の推定精度の検証試験を行いました。このようにして求めた内臓脂肪面積の算定値と設定値の両者の関係を図8に示します。図中には、算定値にフィッティングした回帰直線も合わせて示してあります。算定値がほぼ回帰直線上に乗っており、脂肪面積が精度よく推定できる結果が示されています。

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6.評価実験

  実際に人体の腹部断面を測定した結果について説明します。図9に示すように観測システムとして腹部周囲円周上に帯域周波数10-500kHz、直径40mm円形開口の圧電送受波器を対向配置します。送信器をインパルス駆動した際の腹部断面経路上を伝搬する音波の伝搬時間を測定します。送受信器と体表の間の音響的なカップリングを保つために、両者の間にウォータバッグを入れて観測を行います。

ここでは、送信器設置点を直径400mmの円周上の32等分割点、受信器設置点を円周上の16等分割点に選びます。ここで、観測円の中心をほぼ脊髄に一致するように設定しています。受信点は16等分割点の中心を除いた対向側8地点に選んだM=128経路で観測することにします。ただし、脊髄を通る経路を取り除くことと、腹部の外側を通る経路を除外するため、最終的に約80経路程度の少数の経路上で測定を行います。再現した腹部断面音速映像を図10に示します。

シミュレーションの予測にほぼ一致する形で、音速の速い筋肉領域と音速の遅い脂肪領域が再現されている様子がわかります。音速の遅い脂肪領域の抽出結果を同図(b)に示してあります。この結果では、皮下/内蔵境界が明瞭に区別できる画像が再現されており、内臓脂肪面積は30.8cm2と推定できました。一方、X線CTによる検査映像を図(c)に示します。音波トモグラフィ映像と比べて、細部については一致しないところもありますが、内臓脂肪面積のX線検査結果は30.2cm2であり、両者はよく一致していることがわかります。


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7.まとめ

 医療診断においては、被験者に苦痛を与えずに検査することが不可欠です。それだけでなく、生体を対象とする場合は、摘出せずに生きているままの状態で測定(in-vivo測定)しないと台無しになってしまいます。ところが、生体組織音速の非侵襲in-vivo測定は、これまで技術的に困難な点が多かったため、まだ緒についたばかりの段階にあります。音速測定技術の歴史を振り返ってみると、古くは17世紀のGassendiによる空中の音速測定や、19世紀のColladon, Sturmによる水中の音速測定に遡ります。現代では、電子計測技術の発展と共に、音速の測定対象は様々な材料や媒質に拡大し、周波数も可聴域に留まらずGHz帯の高周波領域まで拡大し、広範囲な用途に応用されるようになりました。そのような歴史的流れの中で、生体の非侵襲トモグラフィ計測は、21世紀に残された音速測定技術の重要課題の一つです。ここで紹介した内臓脂肪測定だけでなく、人体の音速もしくは硬さ情報を取得することができれば、その基礎データに基づいた装置や材料の人間工学設計や医療シミュレーションなどへ応用される可能性を秘めています。本研究がそのような将来の発展に繋がることを願ってやみません。

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