ギナンジャール・カルタサスミタ氏からの皆様へのメッセージ
ギナンジャール・カルタサスミタ氏 東京農工大学のように優れた大学から名誉博士号という栄誉を頂き、とても光栄です。特に、この大学の卒業生であり、在学中にその後のキャリアの基礎となる学術的な修練を受け、多くの創意と知識を培った私にとっては、この受賞は大変喜ばしいことです。

 私は40年前に来日し、5年半を日本で過ごしました。そのころ、私は若く、まだ経験を糧として成長をする年頃であり、その時の経験を通して自らの知力、個性、倫理観そして世界観を養いました。

 また、私は日本で過ごしたこの時期に「努力」、「訓練」、「組織」、そして「友情」の価値について多くのことを学びました。さらに、少林寺拳法など様々な武道を学ぶことで、インドネシアの騎士道“Kesatria”とよく似た武士道についても学びました。当時、日本はちょうど戦後復興を遂げ、世界経済に重要な位置を占めようとしていました。私はまさに、敗戦国から戦後の勝ち組へと急激に変化を遂げた当時の日本の目撃者の一人です。1964年、新しい復興を遂げた日本を象徴するオリンピックが開催されたときも、私は日本にいました。いうまでもなく、これらの全ては私の心の中で大切にしている経験であるとともに、学んだことは私の精神の一部となり、インドネシア人としての私の自覚をより強くしました。

 ここで、お話を続ける前に、インドネシアの人々、とくにアチェの人々から、この地方に恐ろしい被害を与えた地震と津波からの復旧活動に対する日本政府および日本の人々の援助と貢献に対し、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 12月26日に発生した地震と巨大な津波はインドネシアの北スマトラの一部であるアチェ地方の人々と経済にひどい打撃を与え、89,000人以上の方々が亡くなり、132,000人以上が行方不明、430,000人以上が避難民となりました。損害・損失は概算でインドネシア全体のGDPの2.3%、アチェ地区GDPの97%にあたる45億USドルにも上っています。さらに、130万軒の家屋やビル、8つの港、4つの燃料貯蔵庫をはじめ、水道設備の85%、下水設備の92%、道路120km、18の橋も被害を受けました。日本政府は最も迅速で最も大規模な援助をしてくれました。この援助により、日本はインドネシアに対する真の友情を言葉と行動で示してくれました。

 さて、お話をもどしますが、私は若い頃の私のように、より多くのインドネシア人学生がこれからも日本で科学技術と文化を学ぶことを願うとともに、より多くの日本人学生がインドネシアに学びに来ることを願っています。インドネシアは経済的には日本より後れていますが、日本と同じように豊かな歴史的、文化的遺産を持った国であり、みなさんは、人間として成長するためにどんな場所でも、どんな場合においても、他の人々から学べることが何かあるはずです。

 最後に、この名誉博士号の授与について、再度、感謝いたします。本日のこの名誉博士号授与だけでなく、40年前、この東京農工大学で楽しく学び、過ごした日々を懐かしく思い出しつつ、大変よろこばしく思っております。
 


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