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狭山丘陵における自然保護の理念と名づけに関する調査

狭山丘陵における自然保護の理念と名づけに関する調査

山本千晶
(東京農工大学大学院)


1−1 問題の所在

 狭山丘陵は、埼玉県と東京都にまたがる約3500haの緑地帯である。東西11キロメートル、南北4キロメートルの楕円形をしており、航空写真で見ると、まるで、開拓地が広がる都会に残された緑の島のように見えることから、「緑の孤島」などと呼ばれている(注1)。日本には、自然保護の地として有名なところは全国各地に多々あるが、ここ狭山丘陵も、全国規模でその名称を轟かせている。この地が有名なことのもっともな理由は、恐らく、映画『となりのトトロ』のキャラクター、「トトロ」を運動のシンボルにしているためである。狭山丘陵では、長年開発に対抗する自然保護運動が続けられており、1990年には幾つかの市民団体が集まって、任意団体「トトロのふるさと基金」を設立し、ナショナルトラスト運動を展開し始めた。1998年にはそれが財団法人となり、「トトロのふるさと財団」が誕生している(注2)。遅々として進まない行政の対応に業を煮やし、自分たちで土地を保全しようとするトラスト活動を始めるにあたって、組織設立のメンバーは、何か人をひきつける名前を考えていた。そこに飛び込んできたのが、『となりのトトロ』である。『となりのトトロ』は、1988年に公開された宮崎駿のアニメーションで、近所づきあいの残る1950年代の田園地帯を舞台に、少女メイとサツキの、大人には見えない森の精霊「トトロ」との交流を描いて大ヒットした作品である。映画の舞台が狭山丘陵に似ており、トラスト運動で保全したいと思っていた風景がそのまま描かれていることが重なって、宮崎氏の許可を得て、「トトロ」を運動のシンボルとしたのである。運動の目的は「消えていこうとする狭山丘陵の自然や里山の文化に歯止めをかけ、次の世代のために守り、育て、生かしていくこと(注3)」であり、「狭山丘陵の自然や里山の文化」を「トトロのふるさと」と重ねている。
 そうして活動を始めた結果、トラスト運動の知名度は急速に上がり、全国各地、及び海外からも寄付金が寄せられた(注4)。その寄付金額は、国内における他のナショナルトラスト運動と比較しても非常に高く、「トトロの森」と名づける買収地の面積も広い(注5)。知名度や寄付金額、買収地の地価などから判断するに、狭山丘陵におけるトラスト運動はかなりの成功を収めていると言えるだろう。「トトロ」が初めて狭山丘陵に登場してから10年あまりが過ぎ、遠方からトトロに会うことを目的に丘陵を訪れる子どももおり、現現在では、トトロの森と言えば狭山丘陵を指すまでになった。財団編集の狭山丘陵のガイドブックにも、「四季の変化も美しい里山の風景は、原生の自然からは得られないふるさと感いっぱいのトトロの世界そのものだ。…そこは人と自然が共に生きてきたトトロの世界なのだ(注6)」と記述されており、「「トトロ」の世界=狭山丘陵」という図式ができている。さらには、「縄文人もトトロの森が大好き(注7)」という表題で、古代の人びとの狭山丘陵での暮らしの様子も記述されており、これによって、あたかも「トトロの森」が太古からあったような認識が生まれている。地理的な広がりばかりでなく、時間的な広がりまで含めて、狭山丘陵がトトロの森だと認識されているのである(注8)。自然保護という運動をみたとき、ここ狭山丘陵は、極めて成功している事例の一つと捉えてよいだろう。
 だがここで視点を変え、自然保護のきっかけとなる場所への愛着という観点から丘陵を見た場合、当地における運動の評価は、戦略面での成功に関する評価と同じというわけにはいかないと思われる。
 まず、「トトロ」という生き物に目を向けよう。「トトロ」は、先にも述べた通り子どもだけに見える森の精霊で、実際にはいないけれども、その存在を信じられている架空の生き物である。「トトロ」やニンフ、ドワーフなど、想像上のあらゆる生き物は、それが見える人には見えるし、それらを映す目(心)を持っていない人には、決して見えないものである。そうした現象は、アニミズム(animism)として理解される。アニミズムとは精霊崇拝のことであり、あらゆるものには霊魂(アニマ、anima)など霊的なものが遍在し、さまざまな現象はその働きによるとする世界観のことである(注9)。狭山丘陵は、アニミズムという視点から見ると、非常にユニークな性格を持っている。それは、「アニミズムの世界は創造(クリエート)するものではなく、発生(ジェネレート)するもの(注10)」であるにもかかわらず、ここでは、アニメーションを通じて広く知られている「トトロ」という存在があり、すでにアニミズムの土台が用意されているという事実があるためである。アニミズムは、その内容が広く共有されている場合もあるし、ある個人だけに適応する場合もある。アニミズムが共有された結果として、想像の内容が形になり、文化として受け継がれている例は多く存在する(注11)。しかし、狭山丘陵における「トトロ」は、すでにある一定の型をもって視覚化された、「あるもの」として捉えられており、それが突然丘陵に持ち込まれている。本来自由に想像され、その形が多様に創造されてきたアニミズムの対象が規定されているとき、そこには、新たなアニミズムの対象が創造される余地はなくなる。そして、そうした「トトロ」が影響力を持つようになると、アニミズムが個人の心性に働きかけ、行動にも影響を及ぼす性格を備えたものであることを考えると、狭山丘陵での「トトロ」は、私たちの創造や行動の可能性を狭め、ひいてはその人の生の開花を妨げる危険性まで孕んでいるとは言えないだろうか。
 また、前述したように、狭山丘陵全体が「トトロのふるさと」として捉えられている現状がある。「トトロ」にも言えることであるが、「トトロのふるさと」と聞いたとき、私たちは即座にある一定のイメージを思い浮かべる。それは、『となりのトトロ』に出てきた田園風景である。そして「トトロのふるさと」である狭山丘陵を、あのアニメーションの風景そのままに捉えてしまうのである。これは危惧すべきことである。つまり、かねてからそこに存在していた人びとの生活様式や自然との多様なかかわりが、「トトロのふるさと」としてイメージされる風景に吸収され、丘陵全体が画一化されてしまう危険性があるのである。本来狭山丘陵は、生活や憩いの場、古くは八国を見渡す見張り台として、近隣に住む人びとと切っても切れないつながりを歴史の中に刻んできた(注12)。そうした丘陵が「トトロのふるさと」というある一定のイメージで捉えられてしまったとき、人びとの丘陵とのつながり、人と場所との結びつきに、何らかの変化が生じると思われる。そしてそれは、あまりにも強い「トトロ」のイメージのために、外部に対して発信していくことのなかったそれぞれの感情が覆い隠されてしまうほどのものではないかと危惧するのである。
 これは、「トトロ」や「トトロのふるさと」という記号がもつ働きに他ならない。記号とは、一定の事象や内容を代理・代行して指し示すはたらきをもつ、知覚可能な対象のことをいうが、それゆえに、一旦それが了承されてしまうと、それ以外のものがその事象や内容を表現する余地をなくすものでもある(注13)。私はこれを、記号のもつイデオロギー的な性質と理解するが、そのために、本来記号を持たなかったもの―人びとのオリジナルなつながり―が隠されてしまうことはないのか、以下で検討する。


1−2 調査方法の概要

上記の疑問を明らかにするために、本調査ではまず、狭山丘陵に「トトロ」をもち込んだ当時の人びとを含む自然保護活動家と狭山丘陵との結びつきを明らかにしようと、なぜそこを守りたいと思うのか、活動のきっかけや経緯、丘陵に対する思いなどについてお話を伺った。聞き取りに要した時間は、15分程度から2、3時間までと、対象者によって異なる。その際、聞き手(私)の恣意性を極力避けるために、「トトロ」という名称を出すときと出さないときとに分けて調査を行った。また設問の設定及び時間の関係上、本調査では、対象者の「活動家」としての顔に焦点を当て、その人における「一般住民」としての顔や、職業上の立場から発生するであろうと思われる影響などは考察の対象としていない。なお、外部からの「トトロ」の影響があるとしたら、それをもっとも受容的に受けていることになる活動家以外の人びとへの調査は、今後の課題であると考えている。
聞き取り調査では、以下の質問を中心に個人の感情を把握するように努めた。

  ·狭山丘陵近辺での居住年数
  ·幼少期を過ごしたところの様子
  ·活動のきっかけ、内容、頻度、対象など
  ·狭山丘陵で気に入っている場所
  ·活動を続ける上で、楽しいこと、辛いこと
  ·将来の狭山丘陵に関する願望
  ·『となりのトトロ』を見たことがあるか
  ·『となりのトトロ』は好きか嫌いか、それはなぜか
  ·『となりのトトロ』で印象に残っている場面はどこか

 また、これを受けて、調査結果が一部の活動家に限られたものではなく、狭山丘陵で保全活動に携わる複数の人びとにおける傾向として適用できるか判断するため、各活動団体のメンバーにアンケートを実施し、聞き取り調査でコンタクトが取れなかった人びとにも調査に参加していただいた(注)。アンケートは、郵送で16団体宛てに送り、各5部ずつ記入用紙を同封して、計80名に回答してもらうように想定した。その結果、返答数32部、回収率は40%であった(注15)。回収率の分布によると、回答率が高い団体と、全くない団体のどちらかに分かれる傾向が見られた(注16)。これは、アンケート送付先の選定の際に、1997年当時の狭山丘陵で活動する団体のリストを主に使用したため(注17)、現在も活発に活動を続けている団体と、それぞれの目的が達成されたために解散したか、または他の団体と統廃合している団体がいくつか存在することが原因の一つとして挙げられる。そのため、今回得た回答が、狭山丘陵で活動をする人びとに見られる一般的な結果であると判断してもよいと思われる。
 フィールド調査で必ず問題として挙げられる、インタビューやアンケートではくみ取れない、語られない思い、話者の作為性による隠された感情などが存在する可能性は、ここ狭山丘陵でも大いに残るものの、本調査では、語られ、書かれた内容に重きを置く。表に出すことで、それが被験者が伝えたかった内容であり、被験者がそのように丘陵をみていると判断することが妥当であると考えるためである。インタビュー対象者15名、アンケートによる回答者32名の結果を総合したところ、彼らが活動をする理由は、主に次の3点に分けることができた。

 @子どものころの体験や思い出がきっかけになっているため
 A「ふるさと」への思いのため
 Bこれからの子どもたちに豊かな自然環境を残してやりたいという思いのため
 以下では、このそれぞれについて、詳細を見ていきたい。


2 調査結果の内容

2−1 遊び

 @、子どものころの体験や思い出が現在の自然保護運動のきっかけになっているというカテゴリーは、さらに

  (1)かつて、狭山丘陵ではないにしろ、自分が子どものころに野山などで楽しく遊んだ思い出が忘れられないために、似たような自然環境を有する狭山給料を残したいという「遊び体験型」
  (2)(1)とは逆で、子どものころに自然のなかで遊べなかったために、「川あそび」などという言葉に憧れのような感情を抱いており、現在遊べる可能性があるところは残したいという「遊び非体験型」
  (3)子どものころから鳥や草花が好きで、慣れ親しんでいた自然環境を残したいという「自然体験型」

 の3つの類型に分けられる。それぞれ簡単な例を挙げる。
 「遊び体験型」として挙げられるのは、M.Aさんである。ベテランが多い狭山丘陵の自然保護活動家の中では比較的新米のM.Aさんは、小学生の頃あちこち引越しをしたが、偶然にも自然環境豊かなところばかりに越して行ったという(注18)。簡単な仕掛けを作って魚とりをしたり、夏には川をせき止めて水遊びをしたり、M.Aさんには川の思い出が非常に多い。そして現在の保護活動でも、所属団体の中では「水辺担当」という役を担っている。自分が楽しんで遊んだ思い出は強く残っており、現在活動しているのは、かつて自分が遊んだその川ではないけれど、そういうような環境を大切にしたいと思って活動していると仰った。また、群馬の山村で育ったT.Aさんは、18のときに上京してきた(注19)。現在の生活は、生まれ育った地とは離れたものとなっているが、同窓会などでたまに帰省すると、変わっていく故郷の姿に驚かされるという。コンクリートで護岸された川を見て、「この川で遊んだよなあ。ハヤが捕れたよなあ」とかつての遊び仲間と昔を思い出し、現在の状況に寂しさを覚える。「僕たちが日が暮れるのも忘れて遊んだところが今あんなふうになってしまってね。何だか淋しいんですよ」と語る。故郷の村を自分の手で守ることはできないけれど、せめて自分が現在暮らし、関われるところでは、遊べる場として残しておきたい。T.Aさんは、それが故郷への思いを満たすものであるとも、思っている。
 「遊び非体験型」の代表例は、M.Iさんの体験である。京都の住宅地に生まれ育ったM.Iさんは、自然のなかで自然と一体になって遊んだという経験がほとんどない。近くに幅の広い川が流れていたが、M.Iさんが子どもの頃は、上流の染色工場から流れてくる化学物質のため、川で遊ぶことが禁止されていたそうである。「祖父さんが子どものころは、あの川でこんなことをしただとか、楽しそうに話してくれてね。なんで俺たちは遊べないんだ、と不満だったね(注20)。」子どものころに遊べなかったその気持ちが心残りで、M.Iさんは、現在遊び場を作る活動が楽しいと語ってくださった。実際、現在作ろうとしている遊び場は子どもたちのものであり、子どもたちに自分が遊べなかったために抱いた悔しい気持ちを味わわせたくないという思いもあるものの、M.Iさんにおいては、遊び場を作ることで現在の自分も遊んでいるという、「楽しみ」の感情が強い様子である。また、上記のM.Aさんの子どものころの話を聞くたびに、「いいなあ。お前は恵まれていたよなあ」と、うらやましそうに話すS.Uさんも、この分類である(注21)
 「自然体験型」として挙げられるN.Aさんは、小学生の頃から生き物に関心があり、鳥や昆虫の名前を非常によく知っている。「すごいですね」と評価されると、「わざわざ覚えたわけではないから、すごくありませんよ。たまたま興味があったから、すんなり頭に入ってしまったんです」と言って、現在は環境教育の分野で保全活動に携わっている(注22)。自分が好きなものを伝えたいし、それに興味をもってもらうことがうれしいのだと言う。子どもたちに昆虫の特性を教えたとき、「へえー」と驚く眼差しにかつての自分の感動が重なるようで、喜びを感じている。また、O.Hさんも、野鳥にかけてはかなりの博学である。幼い頃から鳥にひかれていた彼女は、鳴き声を聞くだけで大抵の野鳥を峻別することができる。彼女が保護活動をするのは、そうした大好きな野鳥が住める環境を守りたいということもあるが、鳥を観察する仲間と出会えることが大きいという(注23)。趣味や関心を共有できる仲間が増えることが、うれしいのだと思われる。
 それぞれ簡単なモデルケースとなるものを挙げたが、三類型に共通する要素が存在することがわかる。「遊び体験型」「遊び非体験型」「自然体験型」のそれぞれで幼少期の体験は異なるものの、どれにも「楽しい」「うれしい」という感情がみられることである。「遊び体験型」では、自分の子どものころの遊びが、楽しかった。M.Aさんに代表されるように、「(かつての)そういうような環境」を保護することで同時に守りたいものは、自分の思い出、楽しさである。「遊び非体験型」では、幼少期の非体験がバネとなって、現在活動をしていることが、楽しい。「自然体験型」では、自分の好きなものに出会え、同じ関心を他の人びととわかちあえることが、うれしいのである。こうした「楽しい」「うれしい」という感情を引き起こすきっかけとなる行為を「遊び」だとすると、「遊び」は、なぜ楽しいのだろうか。遊びを通して「楽しい」「うれしい」という感情をもった人びとは、なぜ保護活動を続けていきたいと思うようになるのだろうか。
 民俗芸能研究者西角井正慶は、著書『村の遊び』のなかで、「遊び」という言葉が、本来音楽・舞踊を意味する言葉であったことをふまえ、芸能が遊びの本義であると述べている(注24)。確かに『古事記』には、舞踊によって人の魂の再生を祈った鎮魂(タマフリ)の記述が見られ(注25)、「遊び」という言葉の使用は、この意味においてが最初であると思われるが、現在の「遊び」という言葉の範疇は広く、「慰安」や「娯楽」(人の心を楽しませ、慰めるもの)、「遊戯」(一定の方法で行う身体運動(注26))などといった意味もある。だだが、本調査で対象となる「遊び」は、そうした意味とは少々異なるようである。慰安や娯楽としての「遊び」は、例えばリラックスすること、遊戯は、幼稚園・小学校などで、社会性を身につけるためといったような、なにか他の目的のために行われるという性格をもつと理解できる。しかし、本調査でみられた「遊び」には、そのような理由をつけるのは難しい。狭山丘陵の活動家たちの「遊び」は、言わば、遊びたいために遊ぶ、という性格を持つものであるためである。
 遊び研究に活路を開いたJ.ホイジンガは、その著書『ホモ・ルーデンス』において、遊びの自己目的性を指摘している。「遊びは何にもまして自由な行為であり、…子どもも動物もそれが楽しいから遊ぶのであり、ここに自由がある(注27)。」そうして彼は、「遊び」を文明論として発展させていく。その妥当性に関しては賛否両論があるようであるが(注28)、本稿では、ホイジンガが「楽しいから遊ぶ」とした、遊びの自己目的性に注目したい。アメリカの哲学者、M.チクセントミハイによると、遊びの楽しさとは、「全人的に行為に没入しているときに人が感じる包括的な感覚」を伴うという(注29)。この包括的な感覚とは、哲学者尾関周二が『遊びと生活の哲学』の中で述べている、遊びという活動の享受における自己確証につながると思われる。


  …遊びにおいて自分自身の活動を享受するということは、可能な活動の総体としての自己の享受ということでもあることからして、この〈自己享受〉ということは、自分を見つめ別の自分を発見することにもつながっていこう。遊びのなかで自己がリフレッシュされる経験はだれもがもつものであるが、これは新たな自己の発見にもつながっていくものといえよう(注30)


 遊びは、まさに「自己という存在の確認や可能性を求める(注31)」欲求が現れ出た行為なのである。そしてそうした遊びがもっとも顕著に行われるのが、外部世界と自己の隔たりを明白には認識し得ない幼少年期と言える。
 子どものころの遊びを通して培われる自我や自己確証の重要性に関しては、すでに多くの研究者に指摘されてきている通りであり(注32)、遊びのなかで経験した「楽しさ」と現在の自己は、不可分な関係にあると言える。幼い頃の体験と環境への関心について研究を行ったイディス・コッブによると、子供のころに慣れ親しんだ山や川との間の関係には、現在の自分自身の存在の原点があるという(注33)。自身の存在感、生きているという証の基盤になるこうした「楽しい」という体験が、現在の保全活動を支えているのである。文化人類学者青柳まちこは、遊びを余暇行動のなかに位置付け、生存のための欲求ではないとした(注34)。だが、遊びによって得られる自己への理解を鑑みるとき、それは「生きるための行動」として捉えることが自然ではないだろうか。確かに遊びは、食べることや眠ることといった、生物的な欲求とは区別される。だが、遊ぶことで自己を解放し、より高めていくことができることを考えると、人が遊ぶのは、よりよく生きるためであると言えないだろうか。その際の「楽しみ」や「うれしさ」を得られる行為の一つが、ここ狭山丘陵では、自然保護という形をとって現れているのである。遊びを通して「楽しい」「うれしい」という感情をもった人びとは、そうした「遊び」が自己を肯定し、さらに安定性を高めていくものであるために、保護活動を続けていると思われる。これもまた、自己実現の一つのあり方ではないだろうか。


2−2 ふるさと

 A、「ふるさと」への思いには、直接的な経験を伴わないものの、残したいある種の風景というイメージを持っており、それを狭山丘陵に投影しているという理解を当てた。ここでは、昔はどこにでも見られた里山的な風景が、まだ狭山丘陵には残っていることを保全の理由に挙げる人が多い。それは「トトロのふるさと」としてアニメーションに描かれる風景と同じである。では、その残したい風景(=里山のイメージ)とはどのようなものか。
 まず、『となりのトトロ』にみられる風景を挙げよう。『となりのトトロ』は、1950年代の様子を描いている。田畑が広がり、道路は舗装されておらず、信号もない。人びとが農作業をするなか、木はどこまでも高く伸び、空も青く広がっている。それこそ、絵に描いたような風景そのものである。
 一方、活動家たちが思い描く残したい風景とは、個人によって構成要素の詳細は異なるものの、@)生活する人びとが当地もしくは近くにいること、A)利用の制約を受けないこと、という2点は必須要素として入るようである。その他の要素としては、B)雑木林があり、季節の変化を感じ取れること、C)その他の自然環境が豊かなこと、という点に関して多くの意見が出された。具体的な例を挙げるならば、長年保全活動に携わってきたO.Kさんの残したい風景は、「低い山、雑木林と小さな流れ、林の中の小みち、田圃、畑(注35)」というものであるし、H.Nさんの描く風景は、「小川、田畑、かかし、緑色、トンボ(注36)」というものである。漠然としたイメージで言うならば、O.Hさんの、「落ち葉掃きに参加したり、散歩したり、人と自然の両方に触れ合える場所(注37)」というイメージである。そして、こうしたものの総称として、彼らは「ふるさと」という用語を使っている。では、彼らがふるさとを残したい、と言うときの「ふるさと」とは何か。
 人を取り巻く環境世界に関して多くの研究を行った岩田慶治は、原風景について膨大な著作を残しているが、その結果として言う。


 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」というが、遠くで想起したふるさとは、現実のふるさとというより、幼年の日の思い出のなかにあり、原風景として単純化された図柄ではないか・・・(注38)
 原風景というのは幼少年期の体験のなかの風景である。記憶のなかに痕跡をとどめて、忘れようとしても忘れられない風景である。いつまでも、自分の内部にとどまりつづけている風景。それを思いだすところにやすらぎを感じ、そこから静かで清らかなエナジーが湧きだしてくるような風景である。簡単に「ふるさとの風景」といってもよい(注39)


 このように岩田は「原風景」をそのまま「ふるさと」に読み替えているが、「ふるさと」の理解には、それでは不十分なところがあると思われる。一般に、「ふるさと」というような心象風景の形成には、3つの要因が考えられる。@)種的要因(ニッチを求める気持ち)、A)実際要因(体験、経験)、B)外部要因(記号・情報)である(注40)。岩田の言う「原風景」からの「ふるさと」は、A)の実際要因に当てはまるに過ぎない。もちろん、聞き取りからは明らかにならなかったものの、@に該当する、幼少期の個人的体験から活動を行う人の中にも、自身を表現するという意味で、無意識のうちに自分の体験と照らし合わせて、心の中に理想とする「ふるさと」の風景を描いていることはあるかもしれないし、体験が意識に影響を及ぼしていると考えるのはもっとも妥当である。だがここでは、保全活動のきっかけと行為の因果関係を明確化するため、個人的な体験・非体験が要因となって活動をする人びとは、@の「子どものころの体験や思い出が現在の自然保護運動のきっかけになっている」というカテゴリーに含め、実際要因から想起される「ふるさと」のイメージに関する分析は行わないこととする。その上で、個人的な実際要因を持たないものの、活動を続けられている強い思いの根拠を探ってみたい。
 Aに分類される、幼少年期の体験・経験を特にもたないと自覚している人びとは、外部要因の影響を強く受けていると思われる。これらは、既成メディアの受容によるところが大きい。例えば、日本に生まれ育ち、普通教育を受けた私たちにとって、「さらさら」と聞いて小川が思い浮かぶように、「ふるさと」と聞いて田園や赤とんぼ、夕焼けや子どもが遊ぶ姿などを思い浮かべることは、特異なことではない(注41)。「さらさら」から小川を連想するのは、童謡『春の小川』の影響であろうし、「ふるさと」においては、童謡『ふるさと』や、「日本のふるさと」と名を打つような多くの写真集や、特定もできない多方面からの見聞が積み重なっていると思われる。このようにして私たちの心象風景は形成されていくが、心象風景とは、岩田の言う「生きることの根拠につながり、われわれのいのちをゆり動かす(注42)」というものである。心に思い描く風景がなければ、私たちはそれぞれの人生を、その深さにおいて、またまわりの自然環境や人とのつきあいにおいて、捉えることが困難になるのではないだろうか。心に思い描く風景とは、自己が回帰するような、心の母胎であるようなものだと思われる。それは言わば、心の安寧、安らぎを有していることと同義ではないだろうか。狭山丘陵で保全活動を行う人びとは、個人的な体験はなくとも、「ふるさと」に安らぎを求めたい気持ちが強く、活動を続けていると考えられる。安らぎとは、自己の安全・安定であり、これを求める気持ちもまた、自己を肯定し、さらなる飛躍を志向する自己実現へとつながっていくと思われる。


2−3 他者の生

 Bとして分類される、これからの子どもたちに豊かな自然環境を残してやりたいという思いは、世代間的な考え方である。T.Eさんは、長年にわたる自分たちの活動を評価し、ある程度の成果は挙げてきていると認識している(注43)。その上で言う。「僕たちの代までじゃなくて、子どもたちにも残したいんですよ。1970年代までは、そういう風景があったんだよねぇ。」T.Eさんはかつて、赤子だったお子さんを乳母車に乗せ、片手に本を持ちながら、丘陵で憩ったという。そのお子さんが大きくなり、現在はT.Eさんたちの頑張りによって、お子さんも同じ体験ができる。だが彼の子どもの世代になったとき、同じことができるかどうかはわからない。「ずっとこのまま保全されていけばいいですね」と願望を述べられて、T.Eさんは将来の狭山丘陵についての思いを語ってくださった。このカテゴリーで捉えられる「子ども」は、自分の子どもやその血縁に限らない。16歳になるお子さんがいらっしゃるM.Oさんは言う。「私たちは都市近郊に住んでいるでしょ。それでもいい環境を残してやりたいと思ったんですよ。こどものため、と思って活動してきました(注44)。」この発言だけでは、彼女の関心は自身の子どもだけに向けられているようであるが、さらに話を伺うと、全くそのようなことを想定しているのではないことがわかった。「自分の子どもがいるから、(他人の)子どものことを考えるんでしょうね。」
 自分とは直接関わりのない人のために、保全活動を続ける。自分に直接返ってくるのではないと思われる利益のために、時間や労力を割いて活動をする。ここでみられる他人の幸せ、そしてそのために活動するという行為は、どのように解釈されるべきものだろうか。
 この問いに関して、人のため、というのではなく、一見人のためと思える行為でも実際には自分に返ってくるものだから、結局は自分のために活動しているのだという、利他性や利己性を問題にして説明する理論は、ここではふさわしくない。狭山丘陵における自然保護活動は苦難の連続であり、開発との闘いの歴史であった。そうした中ではしばしば目標が見えにくくなり、「私のため」「彼のため」といった、何らかの利益を考慮して動くようなことは、まず考えにくいからである。この、狭山丘陵の活動家たちにおける他者の幸福に関する問いには、哲学者村瀬鋼の見解がもっとも共感できると思われる。


 私はただ、自己の生ゆえに他人の生をも顧慮するのであろうか。恐らくそうではない。むしろ、私にこれらの営みを強いるのは、他人の生そのものの重み、私の生死に関わらず生きるであろう他人の生の、私の生に価値を与えるゆえにではないそれ自体としての価値、しかしやはり私にとっての価値である。…私の生とは無縁でありうる他人の生を、私は気にかけずにはいられない。それは我が身を思ってのことではなく、他人のところに一つの生があるから、この私の生と同様の、しかし私にはそれを生きえない、もう一つ別の生があるからである(注45)


 私という個人の利益とは関係なく、他人に或る生を生きさせるため、そのために他人を尊重するのだと村瀬は言う。「いつもそのつど或る〈私〉の生であるような一つの生があるいたるところで、その生のひとときが輝かしくあること、私の生のみならず、未来の生、他人の生が、そのつどそれが生きられるそれの現在においてそのようであることが願われている(注46)」という理解で、充分ではないだろうか。自分が「自分」という存在のあり方を認識しているその仕方と同じように、他者もそうであるものとして捉えるそのどうしようもなさにおいて、他者の生の実現を願っているのである。ここで望むのは、他者の他者その人における実現であるが、それでもやはりそれは、そうであるように望む「私」の自己の実現なのである。狭山丘陵には、こうした理解のもと、他者の生を考える活動家たちが存在している。


3 まとめ

 自然保護活動の性格は様々に表現されるが、ここ狭山丘陵ほど多様なイメージを備えるところはあまり類を見ない。狭山丘陵は、アニメーションのキャラクター「トトロ」が住むところであり、丘陵を利用して生活してきた人びととの関わりが現在も存在する「里山」で、都心に暮らす人びとにとって比較的身近に自然と触れ合える「緑の憩いの場」である。ことに、「トトロ」のイメージは全国規模で強い。そうしたイメージの多様さや根強さ―記号のイデオロギー性―が、人びとと丘陵とのつながりを薄れさせる危険性があるのではないかと調査を実施したが、狭山丘陵においては、活動する人びとの運動への思いや丘陵とのつながりは、ある一定の記号の影響力の下に隠されてしまう程度のものではないことが明らかになった。狭山丘陵におけるある情報―例えば「トトロ」―は、活動家たちによる別の情報(個人的体験など)との動的な関係によって常に変形し、創出されている。活動家の多くが、『となりのトトロ』を好きだと述べている一方で(注47)、心の中には、それぞれを活動に駆り立てる強いものの存在がある。それは言わば、活動家それぞれが彼らなりの「トトロ」を有しており、それを丘陵に投影しているのである。そしてその「トトロ」は、元来の記号としての「トトロ」に含まれる操作性を問題にしないほど、活動家自身と強く結びついているものであると考えられる。狭山丘陵における記号「トトロ」の性質とは、まさに記号本来の、「それとの関係で方向を決めれば目標に到達できるもの(注48)」という、運動論で丘陵を評価する際に使われる性質のものであった。
 活動家たちにおいても、彼らが保全活動を続ける思いの構成要素、及び形成過程を分析した結果、彼らの思いは、「トトロ」に代表される外部記号の威力に埋没してしまうことなく、現在の活動の場である狭山丘陵への結びつきは、非常に強いものだということが確認できた。これを場所への愛着という観点から読み替えると、彼ら活動家の思いは、個人的な体験や外部からのイメージによって構成される、自己実現の原点とも言い得る感情だと理解することができるだろう。そしてそうした原点を、実際の自然保護活動を通して、より強固なものにしていっている。自己の存在をここに確認し、さらに現在の自己や他者の自己をも生かしていくそのために、人は愛着を持った場所を守りたいのである。


                                                 (山本千晶)





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