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環境教育実践の構造化と生涯学習の役割

環境教育実践の構造化と生涯学習の役割

朝岡幸彦
(東京農工大学)


1 地球サミットに至る「環境教育」概念の発展

  「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念が国際的に注目される契機となったのは、1992年6月にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)である。この会議は地球環境と経済開発を調和させる「持続可能な開発」を具体化するために「環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言」(以下、リオ宣言)とその行動計画である「アジェンダ21」を採択し、その後の各国環境政策や環境NGO・NPOの活動に大きな影響を与えた。リオ宣言の第10原則において環境問題に関する「国民の啓発と参加」を促進・奨励することが規定され、アジェンダ21ではさらに第36章「教育、意識啓発及び訓練の推進」で「環境開発教育」の必要性が強調されている。
  しかし、アメリカ環境教育法(1970年10月)の強い影響を受けながら1972年6月の国連人間環境会議(ストックホルム会議)で提起されはじめた「環境教育(Environmental Education)」概念は、1975年の国際環境教育ワークショップ(ベオグラード会議)、1977年の環境教育政府間会議(トビリシ会議)などを経て、1997年の環境と社会に関する国際会議(テサロニキ会議)での「持続可能性に向けた教育(Education for Sustainability = EfS)」概念へと大きく変化してきている。こうした概念の変化が意味するものは、「持続可能性(Sustainability)という概念は環境だけでなく、貧困、人道、健康、食糧の確保、民主主義、人権、平和をも包含するもの」であり、「最終的には、持続可能性は道徳的・倫理的規範であり、そこには尊重すべき文化的多様性や伝統的知識が内在している」(テサロニキ宣言10)という広義の「環境教育」概念への拡張が図られてきたということである。こうした国際的な潮流を背景に、1993年に制定された環境基本法の第25条「環境の保全に関する教育、学習等」と基本法にもとづいて策定された環境基本計画の環境教育関連部分が生まれたにもかかわらず、概して教義の「環境教育」概念の枠内にとどまっている。


2 環境教育学の諸潮流における社会教育の位置

  一般的には、日本の環境教育実践の流れに、公害教育をルーツとする社会的公正を重視する流れと自然保護教育をルーツとする自然環境の保全を重視する流れがあり(注1)、地球サミットと前後してグローバルな視点から環境教育を位置づけようとする動きが顕著であると言われている。日本環境教育学会でも学会誌及び大会発表のテーマから研究動向を把握しようとする試みが行なわれているものの(注2)、日本の環境教育実践の流れや研究動向を規定する諸潮流を説明するまでには至っていない。
  とはいえ、現段階における環境教育実践及び研究の到達点を理解するひとつの試みとして、日本の環境教育に大きな影響を与えている(もしくはこれから与えると思われる)環境教育学研究の流れを、(1)学校教育系、(2)地球環境戦略研究機関(iGES)系、(3)自然保護系、(4)持続可能性に向けた教育(EfS)系、(5)公害教育系、の5つのグループに区分し、その代表的な主張をみることで論点を整理することができる。
(1)学校教育系は、文部科学省(初等中等教育局)を中心に、旧文部省官僚出身者やそれと関係の深い研究者が、「環境教育指導資料」(1991年)の作成をひとつの転機として新学習指導要領にもとづく「総合的学習の時間」における環境教育実践に関する提起を行っている。
(2)地球環境戦略研究機関(iGES)系は、環境庁企画調整局(現環境省総合環境政策局・地球環境局)が所管する政府が出えんして設立された団体であり、アジア太平洋地域における環境保全戦略の一環として環境教育を環境メディア・リテラシーなどの視点から研究している。
(3)自然保護系は、いわゆる自然保護教育の流れであり、日本自然保護協会の設立(1951年)を契機に自然観察会や指導員養成講座が行なわれているほか、ここからナチュラリスト協会(1973年)、日本ネイチャーゲーム協会などの環境教育NPOが生まれ、清里環境教育フォーラム(1987年)、日本環境教育フォーラム(1992年)のような環境省自然保護局の支援を受けた自然保護型環境教育が模索されてきた。また、「自然が先生全国集会」(1996年)を契機に文部科学省生涯学習局とのつながりが強化されてきており、自然体験活動推進協議会の設立(2000年)のように社会教育法「改正」(2001年)による自然体験活動事業化の受け皿となりつつある。
(4)持続可能性に向けた教育(EfS)系は、地球サミット以降に多用されてきた「持続可能な開発(Sustainable Development)」概念の内在的な批判として「持続可能性(Sustainability)」という概念が提起され、テサロニキ会議(1997年)が「持続可能性に向けた教育(Education for Sustainability = EfS)」を提唱したことにはじまる。それは、産業社会の「支配的なパラダイム」を「新しい環境パラダイム」へと転換することを教育上の価値として積極的に位置づけようとするものである。
(5)公害教育系は、日教組教研集会「公害と教育」分科会(1971年)で蓄積されていた学校教育現場での教師たちの実践交流の成果を踏まえて、「公害と環境」教育研究会(環教研)を中心とした研究者と教師が担い手となっている。その主張の特徴は、公害問題を出発点として住民運動と結びついた学習・教育を志向し、「権利としての教育」を基盤に教師の役割や可能性を重視しているところにある。
  こうした日本の環境教育学研究の諸潮流のなかにあって、社会教育研究が担うべき役割は地域の生活課題から出発した公害教育の伝統を踏まえて、持続可能な社会(Sustainable Society)の実現に向けた教育のあり方を模索し、自然と人間との共生を具体的に積み上げていくことであろう。そして、持続可能な社会を実現するためにはグローバルな環境問題をローカルな生活課題に結びついた環境問題からとらえなおし、自治の担い手としての市民の自発的・自立的な学習と深く結びついた環境教育が模索されなければならない。


3 まちづくりと環境教育の可能性

  こうした視点から、「まちづくりと環境教育」が環境教育学において決定的に重要なテーマとなり、そのための模索が市民運動(NGO・NPO)レベルでも公的社会教育(公民館など)でもはじまっている。ここでは、「開発・公害問題に向き合う住民の学習」「環境を生かしたまちづくりが求める学習」「新しい住民運動に生きずく学習」の3つの視点から環境教育と社会教育を結びつける学習の具体像を考えたい。
  高度経済成長下において深刻化した公害・開発問題に向き合い撤回や改善に結びつけた住民の学習実践(沼津・三島、北九州)がある。日本の環境教育は公害教育から出発した。1967年の公害対策基本法の制定、最初の環境白書である1969年版『公害白書』の発表、1970年の「公害国会」と環境庁の設置など、日本の環境行政そのものが公害対策行政としてはじまっている。しかし、政府の環境行政が確立される以前に、ここに取り上げる二つの環境学習の実践は取り組まれて画期的な成果を収めた。1963〜64年にかけて沼津・三島・清水町で取り組まれた石油コンビナート建設反対運動は、「学習を武器にした科学による公害予防運動であった」ことなどから「市民の誕生」と評価される(宮本憲一)。1963年から始まる三六婦人学級の公害学習は、「科学的なデータと学習にもとづいた運動」が市当局や企業を動かした。
  住民としての生活権に根ざした公害問題学習は、その後、地域の環境を生かしたまちづくりを支える学習へと姿を変え、都市農業を積極的に位置づけるまちづくり運動(国分寺市)や都市景観の破壊を許さず市民主体の都市計画をつくろうとする運動(国立市)、トトロの森トラストや産廃処分場建設問題を契機とした里山保全運動(狭山丘陵)として展開している。都市部における自然環境の保全は、里山や農地の保全・活用の問題に結びつく。市街化区域内に取り残された生産緑地こそ都市農業の基盤であり、農業の継続が安全でおいしい農産物を供給するだけでなく良好な自然環境をも都市住民に提供している。武蔵野の雑木林が農地と一体になってこそ本来の姿であり、「人の手」によって維持されてきた自然の価値を私たちは再認識しつつある。他方で、私たちは人工的な建造物と自然との調和を「景観」という視点から問題にしつつある。1998年に国分寺市で開発に慎重な新市長が誕生したのに続いて、国立市においても景観裁判の原告のひとりが市長に当選したことに時代の大きな流れを感じる。
  さらに1990年代の後半には、日本で最初の住民投票の実施に向けた運動(1996年8月、新潟県巻町)や、グラウンドワーク運動に代表されるパートナーシップ型の環境改善運動(静岡県三島市)、住民投票の結果を踏まえて基地に依存しないまちづくりを模索する運動(沖縄県名護市)など、新しいタイプの住民運動を支える住民の環境学習が生まれている。こうした学習実践から私たちは、環境と持続可能な開発を地域で実現するために不可欠な学習としての市民の環境教育・環境学習の具体像を見ることができる。20世紀末、1990年代後半は日本の環境問題にかかわる住民運動にとって、ひとつの大きな転機であったように思われる。1996年8月の新潟県・巻原子力発電所建設に関する住民投票を最初に、米軍基地問題、産業廃棄物処分場の建設問題、可動堰建設問題とつぎつぎに地域住民にとって切実な環境・開発問題が、「住民投票」という新しい民主主義の形をとって問われている。もはや環境・開発問題は一部の人の利害関係だけですすむのではなく、地域住民全体のコンセンサスをもとにすすめられねばならない。コンセンサスづくりには学習が不可欠である。学習は市民と行政・企業の共有財産ともなる、グラウンドワーク型パートナーシップは具体的な実践を通して学び・考える市民をつくりつつある。


                                                    (朝岡幸彦)





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