香料を混ぜた時ににおいの感じ方が変わるメカニズムを解明

香料を混ぜた時ににおいの感じ方が変わるメカニズムを解明

 国立大学法人東京農工大学大学院工学研究院生命機能科学部門の福谷洋介助教、養王田正文教授、エステー株式会社、米国デューク大学医学部の松波宏明教授らの研究グループは、ヒトが強い悪臭として感じる硫黄臭(揮発性硫黄化合物)に応答する嗅覚受容体を複数同定しました。さらに、それら嗅覚受容体の応答を抑える拮抗阻害剤(アンタゴニスト)を発見し、アンタゴニストを混ぜることで硫黄臭の感じ方を効果的に抑えることに成功しました。この発見は、生物がある種のにおいを感じるときは、そのにおいの検出を専門とする嗅覚受容体群の活性化が重要であること、そして、複数の香料を混ぜたときには香料間のアンタゴニスト作用もにおいの感じ方が変わる要因であることを示しています。この成果は、嗅覚によるにおいを感じるメカニズムの解明だけでなく、においの感じ方を予測した香料開発や生活悪臭を効果的に緩和する技術の開発などへの展開が期待されます。

本研究成果は、Current biology(5月22日付)に掲載されました。
論文タイトル:Antagonistic interactions between odorants alter human odor perception
URL:https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(23)00554-7


背景
 生物は嗅覚により環境中のにおいを基にして食料の探索や仲間の認識、危険の回避をしながら日々の生活を営んでいます。ヒトを含む哺乳類は、においのセンサーである嗅神経細胞が鼻の内側にある嗅上皮にたくさん存在しています。嗅神経細胞は、におい分子を結合する嗅覚受容体()を作っています。におい分子が特定の嗅覚受容体と結合し活性化すると、イオンチャネルの開閉が起きて嗅神経細胞内外に電位変化が生じます。この活動電位が脳の嗅球から高次の中枢領域へと伝わった結果、においとして感じます。嗅覚受容体はヒトでは約400種あり、嗅覚受容体それぞれが特徴的なにおい分子と結合します。嗅覚はその約400種の嗅覚受容体の応答パターンを組合せコードとして処理することで、環境中の多種多様なにおいを検知、識別しているとされています。
 これまで、単一のにおいの感じ方のプロセスは解析されていた一方で、複数のにおい分子が混在するときに、におい分子間の拮抗作用によって特定の嗅覚受容体の活性が抑制されにおいの知覚に直接的に影響するのか、については分かっていませんでした。

研究体制
 本研究は、国立大学法人東京農工大学大学院工学研究院生命機能科学部門の福谷洋介助教、養王田正文教授、同大学院工学府生命工学専攻博士前期課程の阿部雅司さん(当時)、斉藤遥さん(在籍)、エステー株式会社、米国Duke大学医学部Molecular genetics and Microbiology専攻 松波宏明教授(東京農工大学グローバルイノベーション研究院スーパー教授 兼任)らの国際共同研究グループによって実施されました。
 なお、本研究の一部は国立研究開発法人科学技術振興機構が推進する産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム(OPERA) JPMJOP1833(光融合科学から創生する「命をつなぐ早期診断・予防技術」研究イニシアティブ)、及びJSPS科研費等の支援を受けて行われたものです。

研究成果
 本共同研究では、ヒトの嗅覚受容体を作る培養細胞と気相刺激法(参考文献1)を応用することで、常温気体の揮発性硫黄化合物であるメタンチオール(別名メチルメルカプタン)と硫化水素に応答するヒト嗅覚受容体の探索を行いました(図1)。その結果、OR2T11など3種の嗅覚受容体を同定しました。次に、100種の実用可能な香料の中から、スミレの花のような香りを感じるβ-イオノンを含む香料が嗅覚受容体のメタンチオール応答を顕著に抑制することを発見しました。これらの抑制作用を示した香料は同定した3つの嗅覚受容体すべてにおいてメタンチオールや硫化水素に対する応答を抑制しました。OR2T11の3次元構造モデルを使ったコンピューターシミュレーション解析により、OR2T11のにおい分子結合ポケットに、メタンチオールとβ-イオノンの両方とも入り込むことが予測されました。この結果から、β-イオノンがOR2T11のアンタゴニストとして作用することで、メタンチオール応答が抑制されることが分かりました。
 次にアンタゴニストであるβ-イオノンが、メタンチオールの悪臭の感じ方を抑える効果があるかどうか官能評価試験を行って検証しました。抑制作用があるβ-イオノンと応答抑制効果をもたない香料(Iso E super)を比較すると、β-イオノンの方がメタンチオールの臭気強度を有意に抑制しました。この抑制作用はβ-イオノン自体のにおいの感じ方と相関はなく、β—イオノンのにおいを感じにくい人でも硫黄臭抑制作用が見られたことから、β-イオノンの香りによるマスキング作用ではないと考えられました。そこで、専用の器具を用いて左右の鼻の穴から異なる気体を吸引し、知覚の変化があるか確かめました。メタンチオールとβ-イオノンをそれぞれ別々の鼻の穴から吸引した場合、β-イオノンによるメタンチオールの悪臭の感じ方は抑えられませんでした(図2左下)。メタンチオールとβ-イオノンを予め混合した混合ガスを片方の鼻の穴から吸ったときは硫黄臭の感じ方を抑制しました(図2右下)。この片鼻刺激の官能評価の結果は、ヒトのにおい知覚が脳の高次領域で起きる拮抗作用ではなく、末端である鼻の嗅覚受容体のにおい分子応答の活性化パターンの組合せが重要であることを示しています。嗅覚受容体ごとに異なるにおい分子選択性に加えて、拮抗的な相互作用を示すアンタゴニスト香料による嗅覚受容体の機能抑制がヒトのにおいの知覚を変えることを世界で初めて実証しました。
 
今後の展開
 本研究は、複数の分子が混在するにおいを嗅いだ時、個々のにおい分子が結合して活性化する嗅覚受容体の組合せだけでなく、他の嗅覚受容体の阻害剤として働くにおい分子と嗅覚受容体の組合せもあわさって、においの感じ方を変えることを示しています。例えば、靴下臭として有名な“イソ吉草酸”とバニラの香りの“バニリン”を同時に嗅ぐとチョコレートの香りに感じることが知られていますが、チョコレートの香りとして【イソ吉草酸受容体】と【バニリン応答受容体】の組合せの足し算だけでなく、【イソ吉草酸やバニリンによって阻害される受容体】の存在が混合したときのにおいの感じ方の変化に重要である可能性を示しています。
 芳香剤などによって嫌なにおいを消す方法もありますが、その芳香剤の香り自体を不快に感じる人もいます。本研究では、特に不快な火山ガス等の硫黄臭を、嗅覚受容体の応答を指標に、弱い香りで効率的に抑制することができました。弱い香りで高い消臭効果をもつ香料の開発による家庭や様々な空間における悪臭問題の解決や、食品の長期保存に伴って生じるオフフレーバー臭の効果的な軽減策の開発、さらには嗅覚受容体の応答を指標にした新規香料開発など様々な展開が期待されます。

用語解説
注)嗅覚受容体
嗅覚神経細胞の繊毛に発現している7回膜貫通タンパク質。Gタンパク質共役型受容体でありり、ヒトでは約400種類、イヌでは約800種、マウスでは約1100種が機能しているとされている。それぞれの嗅覚受容体が特有のにおい分子結合性を持っており、それぞれの嗅覚受容体が異なるにおい分子のセンサーとして機能している。

参考文献
1)Kida, Fukutani et al., Vapor detection and discrimination with a panel of odorant receptors
URL:http://www.nature.com/articles/s41467-018-06806-w
2018年11月6日プレスリリース
マウスのにおい受容体発現細胞パネルを用いて気相中のにおい分子の検出と分子種の識別を実現
https://www.tuat.ac.jp/documents/tuat/outline/disclosure/pressrelease/2018/20181106_01.pdf

図1:気相刺激法による揮発性硫黄化合物に対する嗅覚受容体探索と活性阻害香料の探索結果
A:サンプリングバッグを利用した気相刺激法の概要。サンプリングバッグ内に細胞培養アッセイプレートと小型ファンを入れた状態で無臭空気を充満させた後に揮発性硫黄化合物ガスを注入し、一定時間細胞を刺激した。
B:嗅覚受容体細胞の概要。7回膜貫通タンパク質の嗅覚受容体はRTP1Sというアクセサリータンパク質と共発現すると細胞膜に局在できる。膜に局在した嗅覚受容体が硫黄化合物と選択的に結合すると、細胞内Gタンパク質(Golf)とアデニル酸シクラーゼ(AC)の活性化を誘導し細胞内のcAMP濃度が増加する。cAMPの増加に伴って細胞内で発光タンパク質が活性化するため、その発光強度で嗅覚受容体の応答を評価できる。
C:約400種のヒト嗅覚受容体のメタンチオールと硫化水素に対するスクリーニング結果。
D:阻害香料探索結果。赤線:メタンチオールと硫化水素の応答をともに抑制した香料。青線:官能評価の比較対象として用いたIso E Super。
図2:嗅覚受容体の応答と知覚の関係の模式図
A:硫黄化合物を嗅いだ時には、特定の硫黄臭受容体が応答し、硫黄臭を感じる。
B:アンタゴニスト香料は硫黄臭受容体以外の嗅覚受容体を活性化し、その香料のにおいを感じる。
C:左右の鼻から硫黄化合物と阻害香料を別々に嗅ぐと、硫黄の臭さが残った。つまり、硫黄化合物に応答する受容体とアンタゴニスト香料に応答する受容体が左右の鼻の中でそれぞれ活性化したことで、硫黄臭を感じたと考えられる。
D:先に硫黄化合物とアンタゴニスト香料を混合してから片鼻で嗅ぐと硫黄臭の悪臭の感じ方が弱まったことから、アンタゴニスト香料によって硫黄臭受容体の活性が弱まったと考えられる。

◆研究に関する問い合わせ◆
東京農工大学大学院工学研究院
生命機能科学部門 助教
福谷 洋介(ふくたに ようすけ)
 TEL/FAX:042-388-7479
  E-mail:fukutani(ここに@を入れてください)cc.tuat.ac.jp

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